皆さん、こんにちは
ソフトブレインのシニアAです
いつもSE道場をお読み頂きありがとうございます
今日は私の初仕事の秘話です ではどうぞ...
『あっ、社長。』
『シニアAさん、ちょっとこっちに来てくれ。』
社長室に入っていくと
『紹介しよう、B工場に常駐している、M主任だ』
『初めまして、シニアAと申します。』
Mさんは今日は本社に来て、次の開発メンバーである私に、顔合わせに来たのだ。
『前略.....そういう訳で、来週からB工場にきてくれ。期間は半年を予定している。』
『はい、承知しました。』
会社に入りたての私にとっては生まれて初めてのプロの仕事だ
武者震いした
『シニアAさん、こんばん時間はあるかな』
『はい、大丈夫です。』
『じゃあ、かるく一杯飲みに行くか』
『はい、喜んで』
話してみるとMさんは気さくなひとで、人懐っこい感じだった
わたしはすぐに打ち解け、心を許してビールを交わした
その日はとても楽しい時間を過ごすことができた
初日、私はB工場の入り口に立っていた
Mさんと待ち合わせ、そのまま工場の中にはいった。
同じ会社のメンバやB社のお客様に挨拶を一通り終えると、システムの説明を受けた。
システム名は「放送映像システム」である
よくわからないが、放送局の映像ライブラリを作成したり引用したりするシステムとのこと。
開発はMS-140というミニコンで、クロスアセンブラを使って、ターゲットZ80マシンに変換するようだ
ターゲットのZ80アセンブラはわかるが、ミニコン上のアセンブラはわからないため、勉強が必要だった
驚いたことにミニコンの端末は1台だけだった。
開発メンバ20名で1台とのこと。
しかもこの端末はディスプレイがなく、入力した文字はラインプリンタで打ち出されるようだ
プリンタカバーもなく、インパクト部分が剥き出しだった。LISTコマンドを入れると、作成しているプログラムがラインプリンタに打ち出されるから、一応はメモリを持っているし、ディスクファイルへの保存・参照も可能なようだ。
Mさんに聞くと、この端末でデバッグも行うという
1日に20~30分しかマシンが使えないなんて不便極まりないと思ったが198X年ごろはこういったこともあり得ることだった。
文句は言えない。
皆さんと一緒に、歩調を合わせて開発を進めていった
あるとき、私は皆より順調に開発が進み、自分の担当分は全て終わってしまった
これにはまいった
毎日することが何もない
飽きるほど自分が開発したソースコードを眺めて過ごす
次の日もすることがない
また自分が開発したソースコードを眺めて過ごす。
そういった日が10日ほど続いた
とうとう耐えられなくなった私は、思いついたスピードアップの改良案のソースコードを完成させた
そしてマシンデバッグを経てリリースした
ある日、今まで通っていたルートが通らなくなって、解析が進み、私の改良ソースコードのバグが見つかった
思ってもみないバグだったが、スピードアップが仇となり、バグったのだ
既に開発完了している私のところからバグが出たことで、修正したことが明るみに出て、Mさんに呼ばれた
『なんで修正したんだ』
『暇で暇で...ソースを眺めていたらスピードアップができると思い、修正してしまいました』
『いい加減にしろ 皆さんに迷惑を掛けたんだぞ
』
『すみません すみません』
『デバッグが終わったプログラムは二度と触るなぁ』
怒号が部屋中に響き渡った。
『申し訳ありません、デバッグが終わったプログラムは二度と触りません』
Mさんやメンバ、B社社員の方々には、別途謝り、許していただいた
あのとき、きちんと叱ってくれたおかげで、肝に銘じることができた
感謝、感謝である.....
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