皆さま、こんにちは
シニアAです
いつもSE道場をお読みいただきありがとうございます
本日は新人教育で痛い目にあったエピソードを紹介します
(始まり)
ある日の午後、わたしは応接室で社長と役員から話を聞いていた。
『ま、そういう訳で、今年の新人10名のC言語教育を行ってほしい。その後の教育はまた考えるから』
君しかいないという殺し文句で、嫌とは言えない空気だった
『そういうことでしたら、一生懸命やらせていただきます』
わたしは教えることが嫌いではなかったため、快く引き受けた
次の仕事の開始までちょうど1ヶ月間ある。空いていたから適任だったのだろう
そして4月2日、入社式を終えた10人の新人たちがセミナールームに集まった
前に立ち、挨拶をする。このときわたしはC言語教育の講師デビューをした
それからわたしは、午前中に講義を行い、午後に演習問題をなるべく多く解かせた
10人も相手していると早い人間と遅い人間がいる。演習が早く終わったら、終わっていない人を教えさせて、講師が少ないのをカバーした。
そうやって、変数宣言から始まって、関数のところまで進んできた
『・・・だから関数って便利でしょ。同じロジックがでてきたら、関数化して、その関数を呼び出すようにコーディングして下さいね』
こうして、講義は、ポインタ・構造体・共用体まで駆け足で進んでいき、1か月間が無事に終了した
新人10人たちはそれぞれにC言語を吸収していた
5月2日、セミナールームに皆で集まり、C言語講習会のエンディングを行った。
この後、会社は、「親子教育」と称して、新人1人と中堅社員1人がペアになり、OJT教育することを打ち出した
私の下にも、新人が1人付いた
新人はちょっと危ないところもあったが要領の良い子だった
5月の連休が明け、新しい仕事がスタートした
システム名は「レーザーカード試験プログラム」で1ヶ月の短期勝負だ
画面はMS-DOS、ハードはレーザーカードリーダーライターだ。Lattic-Cコンパイラ(一応C言語)を使用する。
1984年当時、Windowsの影も形もなくモニタに毛が生えたレベルのMS-DOSしか存在しない
わたしは、ハードウェアの制御部分は共通関数を作ってパックしてしまい、画面で指示を受けたルートでその共通関数群を呼び出す方式にした
こうすれば、新人は、共通関数の呼び出し部分を作ったり、メニュー画面を作ったりなどの箇所がコーディングできると考えた
もちろんわたしは、ハードウェア制御部分を担当した
設計書を終えると、ハードウェア制御部分のコーディングを5月中旬に終えた。
順調に進んでいたが、ここで予定外の出張がはいった 戻りは来週、新人を置いていくしかなかった
私は不安を抱えたまま、出張に出かけたのであった
(続く・・・)
今回はここまで。次回のSE道場は、この後の開発秘話です。お楽しみに・・・
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