実はカトリック築地教会は、東京で最古のカトリック教会。1873年(明治6年)、明治政府がキリスト教に対する禁教政策を解き、翌年土地を確保し、最初の聖堂を建てた。
その後、1891年から1920年まで東京教区の司教座聖堂(カテドラル)であったが、1920年に関口教会へ移動。4年後の1923年(大正12年)の関東大震災で焼失。その4年後に現在の聖堂が竣工した。
ちなみにこの聖堂1999年東京都景観条例により、歴史的建造物に選定されている。更に2001年中央区からも文化財の選定されたと言う。
関東大震災で倒壊したこの聖堂には、イエスを抱く聖ヨハネの像があったと言う。地震によって聖ヨセフの像は壊れたが、イエス像だけ残ったのだそうだ。
眠るイエス。
父親の大きな腕に抱かれて安心して眠るイエスの姿は現代の父親、母親に何か語りかけているようだ。
聖堂入り口の聖ペテロ像。少し壊れているが残っている。
資料コーナーにあった観音菩薩。
観音像は、江戸時代の禁教施行時に、信仰の対象である聖母マリアを思わせる子安観音(妊婦の安産や幼児の無事な成長、および子授けを守護する観世音菩薩で、子供を連れた優しい母親のような姿で描かれることが多く、古くから女性の強い信仰を集めている)として作られたと言う。ここの置かれた観音像は、頭の後ろに十字架が掘られている。)
踏み絵のレプリカ。
1618年、街角に掲示された「切支丹(バテレン)訴人制札」。キリシタン(キリスト教者)を密告した者に賞金を与えることを定めた高札。江戸幕府がキリシタン摘発を強化するために出したもので、伴天連(宣教師)には銀500枚、いるまん(修道士)には銀300枚など、身分に応じて高額な褒美が支払われると記されていた。
「蟻の街のマリア」で知られる尊者・北原玲子。恵まれた裕福な身分を捨て、戦後の東京で貧しい人々が暮らす「蟻の街」に身を投じ、寄り添い、子供たちの教育や生活支援に生涯を捧げられた。
ちなみに、昨年ベルガモで帰天されたシスター・竹田の大学時代(旧昭和女子薬学専門学校)の先輩だったそうだ。
「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と呼ばれる銅製洋鐘があり、日曜日のミサの時刻などを告げているのだそうだ。
1876年にフランスのレンヌで鋳造され、関東大震災や戦時中の金属供出も免れた大変貴重な文化財。
思いもよらず、東京の歴史ある教会を訪問出来た。
他にも訪問してみたい教会が沢山出てきた。










