ミラノのBasilica di Santa Maria di Lourdes のプレセピオ(イエス・キリストの生誕を描いた造形)を見てきた。
この教会は1894年、ミラノの郊外、当時は農地の中にあった場所に、ルルドをモデルにした聖母マリアに捧げられた洞窟が建てられた。
1895年に完成すると、すぐに、花を手向け、ロザリオを唱え、司祭たちの説教を聞くために、町中や遠く離れた村からも多くの市民が訪れる場所となった。
設計者である建築家キアペッタの意図では、この洞窟は新しい聖堂のファサードと一体となり、鐘楼の土台として機能し、さらに「療養者用シェルター」に囲まれる予定であったと言う。
信者たちがルルドの聖母マリアを称える聖堂として建設を望んだこの教会は、ビザンチン様式のレンガ造りのバシリカ式建築で、3つの身廊、後陣、翼廊、木造のトラス屋根で構成されている。建築家アルフレド・カンパニーニによって設計され、1902年完成。
教会は聖三位一体小教区の付属教会であったが、1910年に小教区から切り離され、1925年にエウジェニオ・トージ枢機卿によって小教区に昇格。
建物の外側にベルナデッタの像のある洞窟が完成し、10年後にマサビエルの洞窟を模した噴水が設置され、洞窟が完成した。1942年11月1日、シュスター枢機卿によって聖別された。
1943年11月、第二次世界大戦の空爆により、建物は構造と調度品に大きな被害を受けている。教会は改修され、オルガンとヴェローナ産の赤い大理石でできた堂々とした説教壇が設置され、1957年5月25日には、大きなフレスコ画のドームの建設が開始された。
今や、ミラノの中華街とは、目と鼻の先にあり、また教会脇には小児科専門の病院が建ち、私は次男をその病院で出産。入院していた部屋からは鐘楼が見え、毎日鐘の音を聞いていた。
ところで、こちらの教会では友人の初聖体、堅信の儀が行われ、来た時に、あまりにも壁画が美しく魅了された。その後、在ミラノカトリック日本人会のメンバーも通っていることが分かった。
ロザリオの聖母祭壇の両脇には聖テレジアと聖リタが描かれている。Lazzaro Pasini作。
こちらもLazzaro Pasiniによる聖アンナ。
これまたLazzaro Pariniによる十字架の道行き。この絵には心に訴えられるものがある。
ところで、こちらのプレセーペは約30 平米の場所に、1500年代の山村を舞台にしていると言う。
山小屋の開口部から見えるようになっており、昼、夕暮れ、夜の照明が周期的に連続して点灯する。前面にある照明ボタンを押すと、人形やさまざまな機構が動き出す。
その内、200個以上プラグとソケットがついており、1300メートル以上の電線とケーブルがついており、昼、夕暮れ、夜の照明が周期的に連続して点灯する。前面にある照明ボタンを押すと、人形や様々な部分が動き出す仕組みになっている。
洗濯をする女性。洗濯物は風に揺らぐ。湖で釣りをする男性。日中、暖炉の火が点灯すると、家の煙突から煙が出る...生活そのもの。
そして、夕暮れ時、空から天使が降りてきて、馬小屋の上の身をおき、そして日が暮れる前に上がって行く。
また、流れ星も星とともに空に輝く。
プレセーペ用に寄付金も募られており、それは1984年にミラノ会の司祭によって創設されたフィリピン南部におけるイスラム教とキリスト教の対話運動「シルシラ」のプロジェクト一貫として、マニア近郊のサンタ・クルーズのシルシラの小学校の支援金として活用されることが決まっているそう。
キリスト降誕のシーンとクリスマスツリーは、信仰を持たない人々も含め、すべての人の心に響きます。それらは、兄弟愛、親密さ、友情を語りかけ、現代の人々に、簡素さ、分かち合い、連帯の美しさを再発見するよう呼びかけているからです。それらは、一致、調和、平和への招待であり、私たちの個人的、社会的な生活の中で、傲慢にその力を押し付けることなく、幼子という儚い姿を通して、その全能の愛を私たちに与えてくださる神に場所を与えるよう招くものです。したがって、キリスト降誕のシーンとクリスマスツリーは、光、希望、愛のメッセージをもたらすのです。」(教皇フランシスコ)
地元ミサは今夜0時から。その時、馬小屋に赤ちゃんのイエス・キリストが置かれる
良いクリスマスを!
今日の一句
プレセーペ 待望の光 アレルヤ・アレルヤ











