自覚と比較 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

我が道場では、年に2回行われる大会において、白帯以上は基本全員参加と言って、案内を配るが、参加する顔ぶれはいつも大体同じ。もちろんそう言った人たちは、稽古も真面目に出て来ているが、出てきているにも関わらず、参加しない人も毎回いる。
 
性格的なものもあると思うが、どこか自分と他人を比較していないか?と感じてしまう。
 
「恥ずかしいから、いや」と言って参加した事のない子も過去にいた。
 
大人の場合は、仕事や健康上、家族の問題などでなかなか稽古にも出られず、不参加も多い。
 
空手はスポーツではないから、勝ち負けではない。もちろん勝てば嬉しいだろうし、次のステップに進むモチベーションにもなるだろう。
 
しかし、大切なのは、自分との闘い。目標を決めたら、一歩でも進めるよう頑張るのが大事。
 
人生も同じ。結果を出すことも大事だが、その「過程」を「どう過ごすか」が重要なのだと思う。
 
先日の黒帯の特別稽古で師範は、イタリアで空手を指導していく際、やはり国民性から来る精神性の違いにも気を止めておくようおっしゃられた。
 
日本は島国であり、昔から自然災害も多く、いかに自然と共存していくかを考えて来た国であるが、イタリアは歴史上侵略したり、されたりを続け、いかに「勝つ」かが根底にあるので、空手は「スポーツではなく武道である」と言っても勝ち負けに固執し、一喜一憂する人も多い。
 
ただ黒帯になっていく際、そう言った精神ではダメなのだ。ましてや勝って驕り、負けて人やものに当たったり、腐るようでは、何を学んでいるのか?となる。まさに、「勝って驕るな負けて腐るな」だ。
 
話は戻り、大会参加では、いかに「平常心」で挑むか?その訓練にもなる。
 
人生において、受験や採用試験、不慮の事故や人との別れ、病気云々生死に関わことなどの、大きく心を揺さぶられる時が数回は遭遇する。
 
そんな時大切なのは、動じない心。つまり「胆力」。
 
それはちょっとやそっとでは身につくものではないと思う。
 
武道は動じない心の修行だと私は思っている。そして自分の大事な軸を作り、ぶれずに生きる助けにもなる。

 

千日の稽古をもって 鍛となし、 万日の稽古をもって 錬となす

 

何事も続けることは大変なこと。そして、ただ続けるだけではなく、空手道訓同様、 「己をみつめ、 己を正し、己を磨くものである。」内側を見ることが大切。

 

日々精進。