大往生 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

母方の叔父が亡くなり、今日葬儀があった。(もちろん、日本なので、私は参列できず)
 
享年102歳。
 
最後に叔父に会ったのは、29年前。その前も、と言うか、私が物心ついてから大人になるまでに叔父に会ったのは指で数えるくらいだけだったのではないか?と思う。
 
戦後、新聞記者として映画、音楽、美術、演劇、舞踊なんぞに関わり、やがて評論家として舞踊界の歴史に大きな影響を与えた方であったと大人になってから知った。
 
子供心の叔父の印象は、大きな黒ぶちメガネでパイプを咥え、難しいことばかり話しているおじさんだったが、後から思えば評論家のイメージそのものだった。
 
子供に対しても、子供扱いせず、話す言葉が難しかった記憶がある。そして叔父が書いた記事を新聞で読んだことがあったが、舞踏に関するその記事はまだ子供だったからか?何が書いてあったか全く理解できなかった。
 
叔父とはあまり接点はなかったが、最近では叔父の事を雑誌やブログにしている人も多く驚いた。過去に叔父が書いてきた全文収録を目指したプロジェクトまであった。
 
ところで、叔父の妻、つまり母の姉である叔母はかれこれ5年間施設に入院したままで、一人息子の従兄弟が叔父の面倒を全て見ていた。とはいえ叔父はいたって健康であったが始めはお風呂に入れさせてもらう、と言う名目で高齢者施設に通っていたが、従兄弟を休ませるためにも週2日お泊まりになって行っていたようだった。
 
それでもエレベーターのない集合住宅地住んでいたが、4階まで叔父は自力で上がりおりしていたと言う。
 
昨年帰国中、直接会う事はできなかったは、100歳を超えても赤いジーンズを履きこなし、颯爽とはいえなくとも自分の足で歩いている叔父の写真を見せてもらい、この人はまだまだいけるのでは?と思っていたほどであった。
 
タバコやお酒が好きだったとはいえ、大きな病気さえせず、火葬で骨になっても、それはしっかりしており、骨壷に入りきれない程だったそうだ。すごくないか?
 
息子である従兄弟談。
 
「出棺の前には父に触れ冷たさを感じ、焼き場では骨壺に触れ熱を感じ、最後には骨壺リレーで重さを感じた、体感型の不思議な別れの場になりました。」
 
五感で感じる生死。
 
苦しむことなく、自然に眠るように逝ったとのこと。理想ではないか?
 
始めは家族葬にしたかったようだが、知る人ぞ知る方だったそうなので、参列者も多く、弟も都内まで帰る電車の中で、叔父の思い出を熱く語る方と一緒だったのだそうだ。
 
とにかく講演会にしても内容が面白い方だったそうだ。
 
葬儀では、参列者の皆さんから自然と拍手が湧いたという。誰もが、長寿を全うした叔父の存在、人生そのものを称えてのことだったであろう。
 
ご冥福をお祈りします。
 
今日の一句
寝落ちして 気づいていない?! 大往生‼︎