10月15日に私の来伊31年を迎えた。
人生半分以上がイタリア生活になっているとは信じられない。
かれこれ31年前の9月30日に7年勤めた法律事務所を辞めた。やりがいのある職場だったし、仕事が好きだったから辞めてしまうのは、本当に惜しかった。
出発の日、父はまだ定年前(それこそ今の私より若かった!)で、仕事があったので、起き掛けの私に何気に「じゃあ、体に気をつけて」と言って仕事に出かけて行った.普段通りにしか見えなかったが、どのような心中だったのだろう?
初めは入籍こそしていなかったが、一応寿退社での出発だったので、今思えば複雑な思いだったに違いない。
また、母が新宿まで送ってくれて、そこから成田エクスプレスに乗った。見送りはそこまででいい、と私が断ったのだ。家を出る時、母に感謝の思いを認めた手紙をキッチンのテーブルに置いて来た。「帰宅してそれを読んだ時、泣いたわ。」母は最近になって話してくれた。常に気丈な母。父が亡くなっても大泣きする事はなかった。私が泣くと悲しくなるからやめて!と言われたっけ。
話は戻り、イタリアに来て、主婦となり、時間の流れも全く違うローマの生活。初めの頃は、時間がありすぎて気が狂いそうだった。友達もいない、することもない、一人の時間が静かで長すぎる...今ならば、それなりに有効的に活用できるが、時間のある生活に慣れていなかったからしょっちゅうホームシックになったものだ。
今でこそ、携帯電話がありSNSで誰とでも繋がれるが、当時はまだ国際電話も高かったし、ファックスはあっても滅多に使わなかった。とにかく友人に手紙を書きまくっていた。
子供が出来るまでは語学学校をはじめ、ファッションの専門学校、ジムに通い、長女が出来ても週に2度ほど保育園に預けて、聖書教室やレストランの厨房で、賄いがてら料理を教えてもらい、食べて帰って来る...という今思えば趣味三昧、いい生活をしていた。
始めの1年は近所にスーパーがなくメルカートと雑貨屋さんのみで買い出しだった.ローマには当時、百貨店のそごうが出している日本食カフェ兼食材店があったが、そこで買い物をすることは、ほぼなかった。高かったからか?遠かったからか記憶にないが、お米に関しては、たとえイタリアがリゾットを食べるとはいえ、やはり日本米とは違う。バチカン近くのCastrogniという食材店まで行って「イタこまち」というお米を買いに行っていた。車は持っていなかったし、そのお店に行くには地下鉄に乗っていかなくてはならず、長女をウエストポーチに抱き、背中のリュックに5キロのお米をしょって買って帰ったものだった。(その頃から体を鍛えていたぞー!)
その後、夫が脱サラ。山あり谷ありの生活の始まり始まり...とにかく、駐在員生活から脱サラ生活は、ジェットコースターに乗っているような激しい浮き沈み、左右に振り飛ばされるようなカーブ。ギエ〜〜〜ッ!!鳥肌が立っている暇もないくらい、そして胃があっちへいったりこっちへいったり...涙さえ出ず、それでいて思わず目をつぶって、少しだけでもなだらかなコースに入ってもらうことを祈る...そんな生活だった。(いや今もか?)
2003年のイラク戦争、Sars流行…旅行業の我が家は大打撃。ローマの家を売り、そして2020年のCovid... 。いまだに厳しい生活は元には戻らず。少なくとも子供たちが成長し、以前よりもお金がかからなくなってきたことはありがたい。
あの時、仕事を取っていたら…夫と結婚していなかったら…今どんな生活をしていたのだろうか?と考えたりもしたが、「たられば」的妄想をしても仕方ない。
全て「今」が現実。
夫に会ったからイタリアくんだりまで来た。子供達3人を授かった。色々問題はなくはなかったが、イタリアでの育児、学校生活.そして彼らに絡んで知り合った人々...。点と点、人と人の輪が広がった。
親バカちゃんちゃかりんだが、子供達はそれなりに成長し、今を生きている。きっと彼らの中には私の想像を遥かに超えた国籍やアイデンティティの葛藤もあるのかもしれない。
余談だが、先日次男のバイト先に行き店長さんに挨拶をしたら、「本当によく働いてくれて助かっています。D君を産んでくださってありがとうございます。」と言われてしまった。笑 冗談とはいえ、これほどまでの褒め言葉はない。
そして私は、イタリアに来たからカトリック信者になったのだと思う。多分、日本にいたら別の見方、感じ方をして信者になったかどうか?なっても続いていたかどうか...。
更に、子供を通じて空手に出逢った。今や生活の一部でもあるが、新しい型がなかなか覚えられず、体に染み込ませる心と時間の余裕がないのが難。黒帯の仲間(特に日本人の黒帯レディース)といかに良い道場を作っていくか?あーでもないこーでもないと意見を交わす日々。
ショペロ(ストライキ)は多いし、税金の支払いに頭を捻ることも多いが、その恩恵も多く受けている。
子曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
イタリアにいると、自分の年が気にならない。しかしアラ還世代、「耳順う」。謙虚じゃなきゃダメね。
これから自分の人生、何が待ち受けているのだろう?ワクワク、ドキドキ。心臓に悪いドキドキじゃないといいけれど。爆
今日の一句
未知の世界 希望と不安は 今もなお
