モチベーション ~ 只管打型 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先週末、所属する空手教室の全国大会が大阪で行われた。

 

コロナ禍により4年ぶりの大会。

 

もともと今年は帰国予定はなかったし、こんな足じゃいずれにしても大会どころではなかったが、イタリア本部より12名が参加。その内9名が初参加であった。結果は様々ではあったが、何人かの門下生仲間から、勝っても負けても前向きな報告を頂いた。

 

5月に骨折をし、そのまま空手から少し離れている生活だが、9月新年度に向けて、実際自分が以前のように動けるかどうかは別として、指導はできるわけで、改めて自分にとっての空手道とは?と考える。

 

大会に出れば、勝ち負けがあり、また、本来空手は一撃で相手を殺す武術であるので、負けは「死」を意味することになるが、試合に勝っても、負けても、その後につながるモチベーションを上げるというのが大切になる。

 

私のように、空手を始めた年齢が49歳だと、常に自分の体力のピークは下がっていくだけなのだが、しかも、ふりかえってみると怪我ばかり。そうなると、上手いとか下手、とかではなく、身体操作として正しいか?正しくないか?型の理合いに対する理解が深いか浅いか?実践への探求の方が重要に思えてくる。

 

そのためにはひたすら型を打つ。

 

そういえば、曹洞宗の教えは、「只管打坐(しかんたざ)」、「ただ ひたすらに坐る」のだと言う。では、「ひたすら型を打つ」なら、「只管打型」だなあ、と思う。笑 

 

ちなみに来年の全国大会は横浜で行われるそうだ。そして、その翌年が九州・熊本。さっそく熊本の友人たちが、「2年後あたりには、阿蘇も世界遺産になっていると思うので、是非いらしてください。」「一緒に美味しいお酒を飲めるのを楽しみにしております!」と言って来た。お楽しみはそっち...?!爆

 

冗談はさておき、稽古し、指導することで、人間性を磨くことは大きな修行。道場、そして「道」なるものは、人間をつくる道そのものなのだと常に思う。

 

とは言え、今後自分の稽古は、無茶せずマイペースで行こうと思う。