Che Felicità 〜 なんという幸せ! | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

日々の生活の中で、「幸せ」を感じる時間はどのくらいあるだろうか?

 

友人のF爺は確かに高齢、奥さんに先立たれ、子供やましてや孫も頼れる信頼できる親類もおらず辛いのは確かだろうが、辛い辛いと言われるとこちらも辛くなってしまう。

 

私も◯◯さんも✖️✖️さんも、AもBもCもいるじゃない?といいつつ、食事も一人、寝るのも一人、先日「一人時間」について書いたが、一人が辛すぎる人もいるのだと思うと心が傷む。

 

ところでこちらは、先日シッター先の三男の一歳のお誕生日にプレゼントした本。イタリアで人気の犬の「ピンパ」の絵本。”che felicita’!” なんと幸せな!日常生活の小さなことに感嘆するお話し。

 

 

「幸せ」「幸福感」とは2つの意味があるのではないかと思う。

 

1つは、普段自分の周りにある当たり前の幸せに気づいているか、どうかということ。2つ目は幸せ、不幸せという価値観はある意味自分の思い込み?という事。

 
「当たり前である幸せへの気づき」は、今日も一日をつつがなく迎えられる幸せ、食事がおいしいと感じる幸せ、おはよう、今日はと挨拶を交わしてくれる人がいる幸せ・・・と、幸せを数えたらきりはない。そして幸せを数えれば数えるほど、実は自分を取り囲む幸せが増えていく。

 

又2つ目の「思い込み」。

 

例えば、私は、お金は生きていく上で最低限の額は必要だが、必要以上の贅沢はいらないと思っている。しかし、人によっては、お金や容姿云々自分をよく見せるためにこだわる人もいることだろう。とはいえ、どんなにお金があっても、容姿端麗であったり、高学歴、超エリートと呼ばれる人が幸せか?と言ったら必ずしもそうではないだろう。

 

幸せ・幸福感の定義とは、自らが作りあげた価値観ではないか。その価値観に自分自身が振り回され、今が幸せだと感じられない、とすれば悲しいこと。

 

 

 

「しあわせは いつも じぶんの こころが きめる」

 

まさにそう。同じ出来事を経験しても、感じ方は人それぞれ。幸せに導くポジティブ感は、ある意味「幸せセンサー」なのかもしれない。自分に都合が良いように受け取るポジティブ感と言うか、それが脳天気と言われようがいい。それで幸せを感じる時間が多くなれば、楽しい毎日を過ごせることになる。

 

毎日いかに物事をキャッチするか...

 

幸せセンサーの感度、良好ですか?