大晦日 2022 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

年末年始は暖かい、と言うよりは暑い!と予報が出ていたが、今朝は寒く靴底から冷えが伝わり、珍しく膝が痛くなった。

 

ところで今朝、ご近所さんの葬儀があった。しかも朝9時から。葬儀ミサだけはビシッと必ず時間通り始まる。

 

微妙に遅れて教会に着いたが、年末の早朝ミサであるにも関らずお御堂は人でびっしり。パンデミック前の下手な主日(日曜日)のミサよりも混み合っているようであった。それだけ故人の人徳が窺えると言うことだろう。

 

故人は87歳の誕生日を迎えたばかりだったそうだが、地域の小学校の先生を長年務められ、地域の小中学校の先生方はもちろん、父兄も含め有名な方だったようだ。シニョーラ・ダーナさんと呼ばれ、ご主人は弁護士であったにも関わらず、シニョーラ・ダーナさんのご主人、と呼ばれ、ご長男もミラノでは有名な病院の心臓外科医だ。長男も心臓の検査には何度かお世話になった事があるがそう言う方でもシニョーラ・ダーナの息子さんと呼ばれているくらいであった。

 

常にエレガントで、87歳とは思えないくらい、背筋が伸び、いつも新聞を脇に抱えて歩いておられる姿を思い出す。数年前ご主人が亡くなられても、ご自身が骨折をしても泣き言一つ言わず、私や我が家の子供たちの成長を気にしてくださった。

 

ミサは40分と短かめだったが、最後の孫二人、元同僚、そして娘、息子の挨拶がなんと30分以上も続いた。ユーモアのある笑いあり、涙あり、故人の人柄、人間性は語り尽くせないほどで、参列者の心も動かされ、私なんぞ少し風邪気味だったとは言え、持っていったティッシュが足りないくらいであった。シニョーラの自慢のお孫さんであった息子さんの長男さんは、彼女の声色や口癖を真似し、常に誰に対しても相手を気遣う言葉のリストは、あー私にもそうだったなあと思い出す。常に”mente aperta, braccio aperto” 心を広げ、腕を広げておられ、人を赦す事を常に教えておられた、と言う。偉大な方だった。

 

そしてまた、息子さんは、ずっと家のことや亡きご主人から、シニョーラの面倒を見てきた南米人のお手伝いさんを祭壇に呼び、紹介し感謝を捧げられた。イタリア人は、人前で自分の意見を言い、話す訓練が子供の頃からされているので、原稿があろうがなかろうが、形式にとらわれず語り、人の心を動かすものがあると再認識。

 

人の死は悲しいけれど、こんなに良い葬儀にはかつて参列したことがなかった。クリスマスを家族と過ごし、全員分のプレゼントも完璧に準備し、家も常に完璧で突然の死ではあったけれど、全て完璧だったと娘さんが言っていた。

 

なかなかそう言う最期を迎えられる人は少ないかも知れぬ。けれど、「死に方上手」な人は、間違いなく「生き方上手」でもあるという事なのだろうか。

 

 

  
 
こちらはアパートの入り口に設けられた芳名帳と記帳台。皆感謝のメッセージを添えていた。

 

一年の最後に非常に心温まる葬儀に参列できたことに感謝。