年内最後の.... | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

年の瀬も押しせまり、日々「年内最後の〇〇」が続いている。

 

先日年内最後の日本人ミサが行われた。

 

 

40年以上続いてきた美しいお御堂のある幼きマリア会(マリアバンビーナ修道院)での日本人ミサが、私の代母でもあり、霊的指導者であったシスターマリアがミラノを離れたこともあり、やはり在ミラノカトリック日本人会を支えてきてくださった宣教会の一つでもあるミラノ外国宣教会の本部に移動させていただくことになり早く1年弱。初のクリスマス前ではあるが、早めの主の降誕を共に祝った。

 

この日の福音は、イエスの父であるヨセフに天使が現れるシーンであるが、掟によらず愛に生き、神のみ旨に生きるよう救いの計画を考えさせられた。自分の役割とは?その役割をいかに捧げるか?疲れている時、困難な時、苦しみをご自分の十字架に合わせて下さる神が共におられるのか?忙しすぎるとついつい謙遜さ、従順さをも失いがちだと思った。

 

また、空手も年内最後の稽古を終えた。師範ご夫妻が帰国され丸4ヶ月の稽古であったが、長かったのか?短かったのか?時間の間隔がわからない。


自分の練習よりも道場をよくするにはどうあるべきか?やたら怒っていた気がする。苦笑 道場は神聖な場なのであるから、ピリッとした空気が流れているべきだと思う。しかし、殺伐としたピリピリ感ではなく、心地よい緊張感。ピリッとした空気、雰囲気が必要なのだが、どうもだらけやすい。もう何度も師範ご夫妻には言われてきていることだが、ここは私が悪者になって、うるさい人になるしかないのだが、気が滅入る…苦笑 3週間弱休みが入るので、気を改めて、また厳しい人になろう。笑

 

今年最後…のものではないが、ある葬儀に参列してきた。日本在住のイタリア人司祭のお母様の葬儀であった。3年前にお父様の葬儀にも参列。日本でもある司祭の納骨式でご一緒し、こういう時にしかお会いしませんね、と笑ったのだが、人間は早かれ遅かれ死を迎え、そして、親の死目にも会う。それはたとえわかりきっていることでも悲しいことだ。ご自分の親の葬儀の司式をし、説教をし、最後に挨拶もする。たとえ司祭であっても、時に涙ぐみ、言葉に詰まっている様子をみると、司祭も人の子だと改めて思う。「Grazie, madre. お母さん、ありがとう。」その言葉に思わず涙が流れた。

 

年内はクリスマスはカレンダー通り、24-26日が休み。26日は聖ステファノ、キリスト教史上初の殉教者の祝日だ。年内は30日まで仕事があるので、まだゆっくりできず。

 

あー最後に美味しいマリトッツオでも食べ収めておくか!笑