恵みの日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 
今日で2021/22年度の空手の稽古が終了した。
 
それだけではなく、2008年、14年前にミラノ道場を開場された師範夫妻がついに本帰国されるため最後の稽古となった。今後師範のみ11月と5月に強化練習で来伊されるが、一般的な指導は残りの黒帯軍に託された。
 
...と言うわけで今日は仕事を1時間早く切り上げ、稽古2コマに出た。
 
なんだか普段の夏休みの前の稽古の終了日と変わらないような終わり方。涙が出るか?と思ったがそんな実感もなく終了。今後道場は続く。だから特別な終わり方を師範はしたくなかったのだろうし、周りも自然にそう受け止めたのだろうか?
 
この14年で約2200回の指導をされたという師範夫妻。私は2015年に入門。1枚24回分欄がある出席表が22枚出てきた。2020年の1月末付が最後。その後コロナ禍で、そして私自身帰国中だったこともありオンラインクラスは欠席。そして復帰してからは出席数を数えていないが、700回まで至ったのかどうか....私は武道に何を求め学んで来たか?自問する。
 
注意され一度で直る人とそうでないと人の差は大きいが、そうそうすぐに直る人の方が少ないと指導し始めてから気づいた。意識の問題かもしれないし、その人の限界なのか?指導の限界なのか?勉強とてそうだろうが、悩む事が多い。自分にとって空手が楽しくてたまらないのなら、それをどう人に伝えるか?指導者の使命とは?何かと頭の中で堂々巡りの日々。
 
最終的に大事なのは基本。当たり前のことを師範はおっしゃった。
 
親ができないことを子供にさせること自体無理なように空手も同様。上級者ができていないのに、人に指導は出来ない。
 
ところで、前々から稽古の後に飲みに行こうと空手仲間に言われていたので、最終日にはいく予定で何人かに声はかけていた。道場近辺で空いていそうなバールを調べたが、どこも夜8時には終わってしまう。であれば、ピッツアでも食べに行くか?と稽古前に変更となり、ダメもとで師範を誘ったが、翌日早朝に出かけると言われ、参加不可。行けるメンバーで道場近くのピッツェリアに出かけた。
 
話はかわるが、イタリア本部道場にはフランチェスコ、通称フラ爺、F爺さんと呼ばれる方がおられる。この8月で84歳になる。10歳以上年齢の離れた綺麗な奥様がいらしたが、コロナ禍になってから病気が発覚。昨年秋に亡くなられた。見る見るうちに痩せこけ、電話をしては泣かれ、稽古中でも思い出してはよく涙を流しておられた。
 
そのF爺が先月1級に昇級。30年前も他流で1級まで行ったものの途中で辞めてしまい黒帯に至っていなかった。奥様がなくなられ、一時期はどうなってしまうだろう?と心配だったが、黒帯をとって奥様に捧げることを目標にし励みだした。そのF爺とも今回食事が一緒だったのだが、途中からやはり奥様の一周忌を目前にし、また良い仲間に恵まれた、といって号泣。
 
昨年の夏はホスピスに入院され、奥様の危篤の連絡が入り、どのように別れを告げたか。最後の会話…それを克明に涙ながらに話され、一時は死を考えたという。ともに涙を流し、また稽古を一緒に頑張ろうと誓い合った。彼はもともと整体師で病院勤務であったので、門下生の足元を見ては、体のアンバランスなどにはいち早く気づき、自分から口ははさまないもののの他にもどこに影響を与えているか理解しているようだ。
 
私がこのところ膝の調子が悪く、その理由もわかっているのだが、それを指摘され、膝と腕の関係。そして肩甲骨をいかに使うか、教えてくれた。彼が黒帯になった暁には、自分の知識をもって身体操作の指導が出来たらいいなあと理想を語っていた。素晴らしいことだ。
 
話は盛り上がり、気づくと夜の11時を回っていた。また皆で集まろう!と言って帰宅。
 
空には満月が出ていた。
 
秋からの稽古は何かと不安はあるものの、人を尊重すること、そしてコミュニケーションの大切さを重視しながら、皆で協力しあっていければよいと思う。
 
ドキドキだが、ワクワクする。
 
日々精進。