和顔愛語 ~ その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

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聖徳太子の十七条憲法の第一条に「和を以て貴しとなす」とある。

 

故事ことわざ辞典によれば、それは「何事をやるにも,みんなが仲良くやり,いさかいを起こさないのが良いということ」を意味するという。  誰でも知っている単純明快な言葉のようであるが, 仲良くやるといっても,意見を戦わせずに大勢を形成するというのではなく、しっかり議論しろ、ということ。

 

この言葉の真意は,自己の意見に執着したり,それを押し付けたりせず,互いの意見をぶつけ合いながら, 他者の意見を受容することによって一定の結論を導いていくことにある。

 

「意見」というのは、はそのまま「立場」 に入れ替えることができるだろう。国家としても正しい方向に導くために、その重要性として、十七条憲法の第一条に登場する、というわけだ。

 

ところで、イタリア人といると、自己主張のぶつかり合いが多いが、その後意外にけろっと付き合えるから、気持ちがいい。そういう意味では、日本人同士になると、自分の意見は言わず表面上は同調したそぶりを見せるが、心の中には常に不平不満や不安を抱えたりといったことが多いのも現実だと思う。このように、「和」を大切にしたいという願いがある一方、「和らぎ合う」ことがなかなか難しい。


以前も書いた『和顔愛語』。

 

 

和願はにこやかな顔、愛語はおもいやりの言葉として、仏教の大切な実践行なのだそうだ。

 

仏教にかかわらず、きっと聖母マリアもそういったお方だったのではないだろうか。

 

日常を振り返ってみても、例えばシッター先の家庭での『和願愛語』は心の安らぎとなり、ツインズたちにとっては心身の成長を育む大きな心の栄養となるものだと常々思う。

 

とは言え、やはり自分に余裕がないとなかなかできることではないなあと思う。しかも、眉間にしわが寄った人や、話す前から戦う姿勢の人に会うと、こちらも構えてしまいがちになってしまう。

 

にこやかな顔のみならず、話し方、佇まい、それこそ歩き方、座り方..全て表面的ではあるが、その人が、そしてその人の内面が現れる。

 

人の振り見て我が振り直せ

 

日々、修行。