仏教の『大無量寿経』というお経の中に、「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉があるそうだ。
和顔とは、和やかな笑顔。そして、愛語とは、思いやりのある愛のある言葉。
この言葉は、さらにこう続く。「失意承問」
「先意承問」とは、相手の気持ちを先に察して、それを満たしてやるということ。和やかな顔と思いやりの言葉で、人に接して相手の気持ちを労わり、先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか自分自身に問いただすということになる。辛い時や嫌なことがあった時、愚痴をこぼしたくなる時、そんな時こそ、まず自分から笑顔と優しい言葉で周りの人に接する姿勢、それが「和顔愛語」。とはいえ、そうそう簡単にできるものではない。
気分が悪い時はもちろん、精神的に、あまり好めない人に対して思いやりのある優しい言葉をかけるのには、非常に抵抗があるもの。そこでこそ「先意承問」の意が大切。相手のことをまず先に考え、与える、ということ。
ここ数ヶ月、イタリアの病院や老人施設を見、そして両親の老後生活を見、世話する側、される側、やはりこの気持ちが大切だとつくづく思う。両方がぴりぴりし、怒鳴ったり、嫌な態度をするのを見て悲しくなった。
笑顔になってほしいのならば、まずは相手に笑顔を見せる。
優しい言葉をかけてほしいのならば、まずは相手に優しい言葉をかけてあげる。
幸せを求めるならば、まずは相手に幸せを与えてあげる。
自分からまず先に相手の気持ちを重んじて、相手の幸せを考える。大切なのは、思いやり。
仏教ではその心を「慈悲」というそうだが、カトリックとて同様。「慈悲、慈しみ」という言葉は、ラテン語でミゼリコルディア•Misericordiaという。miseria (あわれさ、悲惨さ、みじめさ)を心する(cordia)ことであるが、日本語で「憐れ」というと、どうも悲惨で憐れ、不憫なイメージがあるが、本来は「慈しみ」と同じ意味で使われており、目下の者や弱い者に愛情を注いだり、大切にすること。「大切」と言えば、キリシタン時代、「神の愛」を「デウスの御大切」と訳されていたようだ。
「御大切」とは、その人の存在そのものを受け入れ、その全てを大切にしてくれるということ。自分にとって役に立つからとか、自分の快楽を満たしてくれるから、とか「見返り」があるのではなく、無条件に大切にするということ。それはボランティア精神も同じこと。時の人、尾畠春夫さんがまさにそう。また、尾畠さんの笑顔はすばらしい。宗教、学歴関係なく、人は優しくなれるもの。
私たちが穏やかに生きるためには、みんなが「慈悲」の心を持つことが大切。
心の状態は顔に出る。心和かな顔になって年を取りたい。
ただいるだけで
あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる
あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ
そんな
あなたにわたしも
なりたい
by相田みつを
