昨日イタリアでは、サッカーの一部リーグであるセリアAの最終戦が行われた。
我が家の目と鼻の先にあるサンシーロ・スタジアムはインテル・サンプドリア戦が行われた。
午後に、教会で初聖体があり、聖歌隊として参列していたが、17時前、教会を出ると、もう車車車。人人人。その後自転車で移動し友人とバールでアペ。
外の席に着いたが蚊がいそうだったので、中に入っていいですか?と店主に聞くと、これからサッカーの試合のTV中継が始まるがいいか?と言われたけれど中の席に移動。
徐々に凄いことになってきた。L字型のバールは両端にテレビが設置されており、インテルとACミランの試合が同時に中継されていた。早くから店内にいて気づかなかったが、私たちはインテル側の角に女性3人で座っていた。テイフォーズイと呼ばれるファンたちは皆ユニフォームを着て来ていた。
テーブルや床を叩きながらの雄叫び。その度に私たちの会話が中断される。爆
ところで27年前、95年の1月に婦人科の病気でローマの病院へ緊急入院、手術が行われた。入院した翌日に阪神・淡路大震災が起きたからよく覚えている。しかも風邪のため高熱で具合が悪い中、早朝病院からの電話で入院したのだが、一人頭朦朧の中タクシーで駆けつけ、お気に入りのボルサリーノの帽子を失くし、病院では嘔吐しているのに、病院食にステーキとクタクタのほうれん草のソテーが出て来て泣けた思い出がある。しかも隣の部屋にジプシーの女性が入院しており、その親類団体がお見舞いに続々と病院内をうろうろしており、緊張しっぱなしの入院生活だった。
話はそれたが、術後の処置が悪く水道の蛇口を捻ったような出血が止まらず、再び病院へ駆けつけたが、またまた処置が悪く、今度は緑色のヘドロのようなおりものが止まらなくなり、いい加減怖くなって帰国して治療したのだが、その手続きが大変だった。イタリアでは個人データであるカルテは個人も保有する。それを持っていけ、と言うことだった。
当時夫は出張がちで常に不在。私は運転しないので会社で使っていた車会社の若い運転手が私のお供をしてくれていた。私より若いイケメンのイタリア人で、日本人の彼女もいたようだった。
書類専門の窓口はなかなか融通が効かず、カルテは準備できていないと何度も断られたが、運転手の彼が窓口を覗き「フォルツア ラツィオ!」と言ったらすぐにカルテが出た!と言う嘘のような本当の話。イタリアあるある話だ。
ちなみにローマもミラノも二つチームがあるので、相手の同じチームを応援していればいいが、そうでなく間違いで声をかけようものなら大変な事になってしまう! 1/2の確率のように思えるがたまにサッカーなど全く興味がない人や、まったく違うチームを応援しているケースもある。
シッター先のパパさんはサッカーどころかスポーツは全く興味がないし、たいてい空手(武道)をやっているイタリア人もサッカーには興味がないと言う人が多い。
話は基、女3人、姦しい。喋るだけ喋って解散したが、私が支払っている間に、80歳を超えるご婦人はミランファンの若者に「フォルツァ・ミラン!」と言ってすっかり輪の中に入っておられた。笑 私は55年間ミランファンなのよ!と言って尊敬の目で見られていた。爆
ACミランは敵地でサッスオロに3―0で快勝し、11季ぶり19度目の優勝を果たした。インテルは3-0で2位。
しかし、ここでは1位で優勝しない限り結果とはならない。
近所では大きな声で歌い叫んでいる人たちがいた。夜遅くまで車のクラクションも止まず。皆ドウモに移動、4万もの人が集合したようだ。
こちらは、仕事先のアパートの向かい側の光景。
翌日の今日でさえ、あちこちでミランのユニフォームを着ている人を見かけた。老若男女、それこそお婆さんもいた。それもそのはず!ACミランの選手たちがファンに対する感謝を込めてCasa Milan(次男がいつもスケートをしているところ)からバスでスタートし、町中をパレード。ドウモ広場に向かったそうだ。ファンにしてみたら、嬉しい限りであろう。
サッカーは興味はないが、活気のある街を見るのは嬉しい限り。



