新年明けましておめでとうございます。
入り口には、12月7日の聖アンブロージョの祝日から飾られている、木彫りの大きなイエスの誕生を祝うプレセピオ“Admirabile Signum. Nativity – Gesù pupilla di luce”(素晴らしい兆候。降誕 - イエス光の瞳)があった。
元旦、カトリック教会では「神の母聖マリア」を祝い、カトリック教会の「世界平和の日」も記念される。
ミサはさすがに、コロナ禍のため、回数が減らされ、普段元旦ミサは12時のミサにあずかっていたが、今年は12時はラテン語ミサに変更していた。その前は10時半。その後は17時であったので、前夜は1時過ぎまで友人宅にお邪魔しており、朝は辛かったが頑張って起きて出かけて行った。
お御堂はディスタンスを取るよう長椅子に座る場所のシールが貼られており、二人、一人、二人、一人..の交互席となっていた。パイプオルガンは荘厳だが、聖歌隊はおらず、一人の女性が歌うのだが、毎年、「あーこの声だ...」と思いだす。決して若くはなく、中途半端な高さで歌いづらい。苦笑
地元のミサでは献金箱は回ってこず、自分でお御堂の入り口にある献金箱に入れるのだが、ここサンタンブロージョでは、歴史ありそうな筒の入れ物を持った係りの人たちが全席を回っていた。また聖体拝領も列になって並んでおり、そうなんだ!と驚いた。
献金のためにお金を触り、ジェルで消毒。聖体拝領の前にもジェルで消毒。しかし、ミサのあとのお御堂を消毒している様子には見えなかった。教会によってかなり違うのか?ちなみに我がパロッキアはミサのあとに、数人がアルコールのボトルを一人一本持ち、乾いた布を数枚持って、一気に拭いていく。ほとんどが中高年の女性だが、最近では子供たちが率先して協力してくれるようになってきた。係りであろうが、なかろうが、率先して動ける人が増えてくるのは嬉しい事。また、教会は人が集まる分、ウイルス対策としては最大限の注意が必要だ。
今日は想いにある人々のために祈りを捧げた。
そして、ミサ後に聖人のカードが配布され、今年の守護聖人となる方は、「アシジの聖フランシスコ」となった。
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。
この祈りにあやかりたい。





