月命日 〜 その4 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
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父が亡くなり早9ヶ月。そして私がミラノの家を出て9ヶ月が経ってしまった
 
「あと3ヶ月もしたら一周忌ね。」と母がボソリと言う。
 
9月には12月なんてまだ先だ、と思っていたが、あっという間の3ヶ月。だからあっという間の3月、一周忌になってしまうのかもしれない。けれど、その時はもう私は日本にはいない。
 
お蔭様で、家の雑務も全て完了し、母も元気になった。イタリア人はよく“grazie a Dio” 「神に感謝」という慣用句をよく使うが、まさにそう言った感じ。
 
一時は立つことも出来ず、足腰が痛い痛いと言い、手術しかないか、と思っていたが、コルセットを装着し、リハビリも頑張りずいぶん歩き方も変わりタクシー要らずの生活となった。
 
いいケアマネージャーさんにも恵まれた。ヘルパーさんが派遣されているが、それも必要なくなるだろう。派遣先の代表は父が存命中お世話になり、意気投合していた方だから信頼関係もあったが、逆にヘルパーさんになりませんか?と冗談でスカウトされたくらいだ。笑
 
又、母の友人や近所の方々も既に未亡人が多く、よく気にして声をかけてくれる。やはり悲しみの経験者で、分かち合いの心を持っているからだろう。有難い限りだ。
 
「あなたが帰る日を思うとお母さん、どんなに辛いでしょうね。それを思うと私も辛くて...」と言って涙してくれるご近所さんもいらした。少なくとも母が前向きになるまで一緒にいられた事は大きな恵みであり、私も一生に残る大切な期間であったとも思う。自分の家族が心配ですぐにミラノに戻っていたら一生後悔したかもしれない。
 
今はここ数ヶ月私自身、週に数回、バイトに出ており、日中は留守で、帰宅は夕飯時。準備も全て母がするようになった。私が帰宅すると、1日にあったことを全て報告してくる。ふーん、ふーん、返事をするだけだが、そういう吐き出すことも大切なのだなあと思う。今後はきっと電話魔になるかもしれないが、それも必要だろう。
 
海外から定期的にお電話を下さる80代の方がおられるが、一度冗談で「あなた、年寄りから電話させるんじゃなくって自分からも『お元気ですか?』って連絡するものよ〜」と笑って言われたが、確かにそうだろう。連絡をもらって迷惑と思う人もこの世にはいるかもしれないが、独り身になったり、介護に疲れたり、病気と闘っている人に何気に連絡が来る事は嬉しい事で、またそうする事の出来る心の余裕も必要だろう。
 
何気ない言葉、笑い....そう言った事が心に滲みる。
 
来月はもうミラノにいるはずだ。コップの水が「もう半分」か「まだ半分」、どう捉えるか。人生も同じ。量的には同じことでも意味合いは違う。
 
逆にこの濃密な9ヶ月間はあまりにもあっという間で、ミラノや家族の間に同じ時間が流れているのだろうか?と考えてしまう。
 
わずかの期間いただけのはずなのに、帰ってみたら何百年も経っていた。このことに気づき、竜宮からもらって帰っていた玉手箱を開けてたちまち白髪の老人になった...という「浦島太郎」を思い出す。
 
今まで白髪がない(わけではなく抜いていた)のが不思議!とよく言われていたが、一気に白髪が増え、抜ききれずヘナを始めた。その赤茶の部分の長さと量の多さに時間を感じる。
 
今後は「浦島太郎」か「ナルニア物語」に突入か未知の世界だ。
 
いずれにしても時は流れ、一期一会、川の流れのように身をまかせて行くしかないだろう。
 
なぜか美空ひばりさんの「川の流れのように」(作詞:秋元康/作曲:見岳章)の2番の歌詞が身に滲みる...

生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかはまた 晴れる日が来るから
ああ川の流れのように おだやかに
この身をまかせていたい
ああ川の流れのように 移りゆく
季節 雪どけを待ちながら
 
ああ川の流れのように おだやかに
この身をまかせていたい
ああ川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら