百箇日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

6月15日は父の百箇日だった。父が亡くなり100日と言うことだ。

 

それは「卒哭忌」(そっこくき)とも呼ばれ、声を上げて泣く「哭」の状態から卒業する法要を意味するのだそうだ。遺族にとって、嘆き悲しんでいた状態から脱け出す、悲しみに一区切りをつけ、それぞれの日常に戻っていく節目の法要だという。


また、仏教では四十九日の法要で故人の魂は極楽へ行くか地獄へ行くか決まるとされているが、極楽に行けなかった場合、百箇日の法要で再び審判が受けられるとされ、親族の供養により救済も可能となると言われているとか...?(苦笑)

 

お供えにはお花を贈ることが多く、白を基調とした淡い色の花が適しているのだそうだ。

 

もともと、実家ではよく花が生けられているが、父の小さな仏壇というよりは家具調の棚には常にかわいらしい花々が生けられている。そして、近所の方がご仏前に、といって持ってきてくださった白梅のお線香が非常に優しくほのかな香りを残し癒される。

 

母とは、毎日父の話をし、時に、「あらー、お父さんにお茶忘れちゃった!」と笑いあっているが、このまま穏かな日常になっていけばよいと願っている。

 

いまだ、私のミラノへの出発が決まっておらず、また今後の生活を考えると心落ち着かないし、母に心配をかけたくないが、逆に私がここにいればいる分、私が去った後母にも寂しさが出てくるかもしれない。しかし、様子をみてお友達が声をかけてきてくださることを期待しているし、きっと天の父も母を見守ってくれていることだろう。

 

たとえ一日のうちに亡き父を思慕するひと時を過ごしても、それを前向きに生きる原動力にして欲しいと思う今日この頃。