「格差」について考える | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今回のコロナ禍でこれまたよく耳にするようになった言葉「格差」。

 

格差 ... 資格、等級,価格などの違い。差。

 

格差社会。経済格差。所得格差。情報格差。健康格差。医療格差。教育格差。世代間格差...などなど。

 

実力の差は、本当に努力だけの差なのだろうか?

実績の差は、責任感だけの差だろうか?

 

所得、教育水準、人種構成、職種、健康、医療などあらゆる面で支障が起きている。

 

格差は、必ずしも成功した者や、失敗した者やリスクをとらなかった者との「差」とは言い切れないだろう。しかし、親の経済状態がこの教育機会に影響し、高い教育が好条件な就業機会につながるため、格差は世代を超えて継承されつつある、という問題もある。また、所得格差→地域・人口・教育・医療格差など各格差との連鎖も多い。

 

格差社会の果てにワーキングプアや生活保護世帯が急増しているといわれるが、なんだか理不尽な世の中だ。それはとても個人の力だけで解決できるものではなく、社会全体での取り組みが必要だが、競争社会、そして人々の根底に『勝ち組』『負け組み』といったような意識がある限り、それをなくすのも難しい。

 

いや、それ以前に皆平等、それを臨むほうが難しいのだろうか?

 

格差がじわじわと蓄積され、暗い未来にならないか?自分自身や自分の置かれている社会の現状を確認するのは重要だが、じゃあどうするか?結局はどうすべきか良いアイディアも思い浮かばず...