今日の日めくりカレンダー ~ 捨てる | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日(22日)の日めくりカレンダーはこちら。
 
 
 
父の葬儀を済ませ1ヶ月以上が過ぎたが、ミラノに戻るに戻れなくなった。いつになったら終息し、安心して生活が出来るようになるのだろうか。
 
人一人が亡くなると、諸手続きが大変だとは聞いてはいたが、こんなにややこしいとは思わなかった。まだ家にネットがあり、コピー機もあるので、地道に調べて準備できることも多かったが、これが母1人だったらきっと大変だった事と思う。
 
また、なるべく簡素に、そして使いやすく...家の中を片付けた。もともと母は、家を綺麗にしている方だとは思うが, これほどまでに無駄なものがあるのだなあとびっくり。そうなったら私のミラノの家はゴミ屋敷だ!苦笑
 
手放すことは“習慣”であり“技術”である。
 
必要ないのに捨てられない物や、なんとなく捨てづらい物、思い出深い物などの多いこと!思い立ったら「いつか」ではなく「すぐに」。
 
余談だが、粗大ゴミの捨て方は、自治体にもよるが、指定するいくつかの場所で、粗大ごみ料金分のシール(ゴミの大きさによる)を購入し、収集を申し込む。収集場所に持っていくと、常にゴミは山のよう。しかもイタリアでは考えられないような綺麗な物、まだ使えるのでは?と言うものもある。
 
リサイクルショップやメルカリに出せば?と言う人もいるが、手間暇かけるだけ面倒だよ、と言う人がいたり、送料くらいにしかならなくても、売れれば嬉しい!と言う人もいる。
 
PC関係の扱いはややこしく、高いのか?安いのか?正当なのか?詐欺まがいなのか?わからなくて悩んだが、各メーカーのリサイクル窓口を通じ、送られてくるエコゆうパックの伝票と共に全て無料で処分できた。これもネットで簡単に出来たが、母一人だったらどれほど高いお金を払って処分したことになるか...と思ってしまう。
 
またただ物を捨てるだけではなく、自分は使わなくても、誰かが必要にしているかもしれない。介護用品は、近所の介護施設が喜んで引き取ってくれ、またトレーニング道具も近所の人がもらいに来てくれた。
 
またこのコロナ禍で、行き場をなくした人々が集まる施設で必要とされている物資リストを見た。さすがにスーツやYシャツは必要ないものの、あとは家にある父の古着が喜ばれそうだ。まだおろしていない靴下も沢山あった。
 
私は基本貧乏性なので借りられるものは借り、靴やバッグは一つ壊れたら, 新たに購入するようにしているが、逆にやたら毛糸や布地は増がちで、また帰国のたびに母の古着を持ち帰る始末で...苦笑。
 
ところで、「断捨離」とは、もともと不要な事物を断ち・捨て・離れることにより、人生を改善する考え方のことのことをいうが、最貧国にはゴミはほとんどないという。それは物を捨てるだけの経済的余裕がないからという。私たちは魅力的なものがあふれた快適な生活を望みがちだが, 社会が豊かになるほどゴミが減っていくか?というと意外とそうでもない。気軽に購入し, 簡単にい使い捨てしまう感覚が麻痺しているのだろう。
 

今回、この「捨てる」という作業を通し, コロナ禍、そしてミラノと日本の家族の間に揺れる不安や悲しみ、時に怒りなどが浮き沈みしている。思い出を大事にし、未来に備えることは必要だが、執着や不安で心をブレさせては、今を幸せに生きることができない、としみじみ思う。「今」だけを見つめる訓練によって、心は軽くなるはずではないか....という思いに行き着いた。

 

ある意味、これは気づきの機会であり、手放す習慣と技術は自分らしく生きる一歩だと思った。