視点を変えてみる | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

地元の教会行事のイベントで、我が聖歌隊が歌うためずっと練習をしてきたが、アルトの人数が断然的に少ないところ、欠席者が多く、ソプラノから助っ人に誰か来てくれないか?と言われた。
 
ソプラノは主旋律が多く、歌いやすいが、なにせ聖歌隊のメンバーは高齢者が多く、皆もちろん素人だし、好き勝手に歌い、楽譜なんぞオプションみたいなもの。なんか違うよな...といつも思って歌っていたが、そこから抜け出したいこともあったし、アルトはかなり難しいのでやりがいがあるかな?と思い、「私が行きます!」と手を挙げたが、アルトのメンバーには、「難しいのよ」、と言われた。「あーでも楽譜があればなんとかなりますから。」、と言ったらなんとなく、タカピー?と思われたのか、「それだと元のパートに戻れないわよ!」と言われてしまった。「いや、問題ないでしょ?」と軽く言い返すと、しぶしぶ受け入れてくれたのだが、いやいや、ここでも出る杭は打たれる...苦笑
 
結局、普通に歌えることで私の存在を認めてくれて(爆!)練習に出るたびに、あー来てくれて良かった!とまで言ってくれるようになったから、安心したのだけれど、イタリア人は保守的だわ〜。(それが言いたかったわけではないが)歌うパートを変えるだけで、曲想がまた違ったように見えてきた。
 
歌は心。歌は祈り。
それでも、周りの声を聞き、調和させることも大切。あまりにも地声の大きな人たちがソプラノを歌い、しかも喉から自己流に音程の変化を演歌調にする人も数人おり、指導者に毎回怒られる。習得しようよ〜!!
 
とはいえ、「視点を変える」とは、見る側を変えると、物事の考え方や捉え方を変えてみると、新しい発想や時によっては、解決法までも得られるということなのかもしれない。
 
” 私の描くこの人体は、君の目の前にまるで本人がいるようにはっきりと見えるだろう。もし君が人間の体の各部位を解剖学的に完全に知りたいと思うなら、君あるいは君の目は、下から、前から、横から、また、回してみたり、どこに起点があるか調べたりしながら、いろいろ異なった面から観察しなければならない。私の絵は、どんな部位でも君にはっきりわかる。体の各部位を三つの視点から見て表現することが大切なのだ。byレオナルド・ダ・ヴィンチ ”
 
主旋律を歌うのは、気持ちいいがはもって、響きながらも主旋律を支えるのもコーラスの醍醐味かもしれない。