ギリシア語と並んで西欧の古典語であるラテン語は、古代ローマ帝国の公用語であり、中世から近代の初めに至るまでカトリック教会を中心とする全ヨーロッパの知識層の、いわば共通の文語として用いられてきた。また、現在のフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ルーマニアなど、すべてのロマンス諸語の母体である。
なので、イタリア語の単語を調べていると、必ず接頭辞にラテン語の語源が出てくるわけで、非常に面白い。
例えば、解りやすい言葉としては、
auto-:自分の、自動の(automobile:自動車)
bi-:2、2度、2回、両、重(bilingue:バイリンガルの)
dis-:分離、否定、変質、悪化(disoccupato:無職の)
elettro-:電気の(elttrodomestico:家電)
foto-:光、写真(fotocamera:カメラ)
geo-:大地(geografico:地理学の)
...などだ。
日本語や中国語の漢字は、部首などの意味を知っていれば、それらの組み合わせで意味が生まれてくることが多いので、意外に読めなくても想像ができてしまう。それと同様にイタリア語単語や英単語においても、その単語がどのような語源から成り立っているかということを知っていると、その語源の意味から、現在の単語の意味へと結びつけることができる。
なので、単なる自己満足かもしれないが、辞書を見ては、一人なるほどーと思い、一つ賢くなった気がしてしまうのは現金だろうか?爆
先日、ある聖書の一節を読んでいて、立ち止まってしまった。”superfluo"ってなんだ?
イタリア語の"superfluo"(溢れる)はラテン語 "superfluus"からきており、”super-"(付加、余分、超えた、最上の)に"fluo"(流れる)(+uus 形容詞語尾)がついたものだが、例えばルカによる福音書21:4において
> 4 Tutti costoro, infatti, han deposto come offerta del loro superfluo, questa invece nella sua miseria ha dato tutto quanto aveva per vivere».
あの人たちは皆、有り余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立ての全てを投げ入れたのですから。」
とある。
分かち合いとは、有り余っているもの、余分なものを人に与えるということではない、という意味なのだが、なぜか納得するものがあった。(思い切り自己満足の世界であるが)
ちなみに、"flu"で思い出したのが、”influenza"インフルエンザ。これまた同じ語源である。
もともとの意味は”influentia”(影響)から来ている。
"influentia"(影響)→ラテン語”influens”(流れ込んでいる)+-ia(抽象名詞)→ラテン語”influo”(流れ込む)+-ens(現在分詞)→ラテン語"in"(~の中に)+fluo(流れる)。
勝手に知って、勝手に喜んでいる。所詮自己満足の世界である。
