主は豊かなあがないに満ち | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
ある司祭の訃報が届いた。
 
昨年までお世話になっていたミラノ会のイタリア人司祭ジョルジョ•フェラーラー神父様が宣教先のアメリカで急死された。
 
91年来日。一時期アメリカに宣教に行かれたが、再び日本へ戻られ、常に日本を愛し、日本食、とりわけ麺類を好まれた。2015年に体調を崩され、ミラノに数年戻られている際、お世話になった。何度も、神との関係を強くしなさい。大きな願いを心に持ち、未来に夢を持つように。日々、生活にイエスのスペースを置くように。特に、聖書を読みなさい。最後まで熟読なさい、とごミサのたびにおっしゃっていた。
 
やっと体調も回復し、本来は日本へ戻りたかったと思われるが、アメリカはブルックリンへ宣教を言い渡され、昨年の6月、喜んで出発された。なかなかビザが下りず、出発直前に滞在されていたモンツァの神学院で一緒にごミサにあずかったのが最後だった。
 
先月59歳になられたばかりであった。スペイン語の勉強が終わり、夕方近くの公園を散歩している際に、心筋梗塞に襲われ帰天されたと記事を読んだ。まだまだ若かっただけに残念に思う。
 
31日にアメリカで葬儀が行われ、ミシガン州にあるミラノ会のお墓に埋葬されるそうだ。ミラノでは来週の2月3日に追悼ミサが執り行われる。
 
ところで、在ミラノカトリック日本人の信徒たちで何か歌って欲しいと頼まれた。やはり聖母マリアに捧げる曲がいいかしらね..と典礼聖歌集やカトリック聖歌集をいろいろと探した。またyoutubeでも検索していたら3年前に急死された友人のカトリック聖歌集にヒットした。彼女との思い出も溢れ出てきた。
 
どの曲も美しすぎて、しんみり涙が出てしまう。
 
私たちは人生において、どれほど涙を流すことだろう。涙は悲しみの涙だけではなく、喜びの涙、悔し涙、怒りの涙、後悔の涙、諦めの涙...様々な涙を流す。
 
聖書を読んでいると、聖書は「涙の書物」であると気づかされる。歴史を生きた実に多くの人々の涙が語られている。いろいろな人の思いが込められた涙が大地に染み込んでいる。聖書のみ言葉に触れた時、その涙の意味を理解する。それがみ言葉との出会いなのかもしれない。
 
ジョルジョ神父様の永遠の安息をお祈りします。
 

 

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
主よ、この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
 
主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
主よ、誰が耐ええましょう。
しかし、赦しはあなたのもとにあり
人はあなたを畏れ敬うのです。
 
わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望みます。
わたしの魂は主を待ち望みます。
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。
 
イスラエルよ、主を待ち望め。
慈しみは主のもとに
豊かな贖いも主のもとに。
主はイスラエルを
すべての罪から贖ってくださる。
 
(詩編 130:1-8, 詩編第130編全文)