昨日、空手の大会に対し、「上善如水」をテーマで行こうと思う、と書いた。
水は、柔らかくしなやかでありながら、一方では硬いものを穿つ強さも持ち合わせている。しかも、それは万物に恵みを与え、争うということなく低いところに留まろうとする。
理想な生き方だと思う。
それとは別に、面白い格言を見つけた。
「君子の交わりは淡きこと水のごとし。小人の交わりは甘きこと醴のごとし。」
これは、君子が人と関係をもつのは淡々としていて水のようである。しかし、普通の人がもつ関係は甘酒のようにドロドロしているという意味なのだそうだ。
例えば教師と生徒。上司と部下、などなど。そういった関係は濃すぎてはいけない。淡々としていて、どの人にも水のように、同じように接するのが基本であるということだろう。
水のように淡白な人間関係だなんて、つまらない、と思いがちだけれど、ある歳になると、ある程度の距離感も大切だと思うようになる。特に家族は鬱陶しく感じるものだし、依存も良くない。
どんなに仲がよくても、どんなに気が合っていても、所詮、他人は他人。あなたはあなた。私は私なのだ。
...とかいたら、また興味深い祈りにヒット。
フリッツ・パールズの「ゲシュタルトの祈り」
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。
最後の部分はちょっと寂しい気もするが、それはそれで相手に対するリスペクト、信頼か?それとも究極の愛か?
いずれにしても「水の如く」。柔らかでしなやかでありながら、実は何よりも強い生き方なのかもしれない。
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