名もなき家事 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 


料理、洗濯、掃除など名前がついているものではなく、そういった名前の付いた家事の周辺にあるものを「名もなき家事」と呼ぶそうだ。
 
例えば、献立を立てること。洗剤などの在庫を把握し、管理。新しいゴミ袋をセットしたり、ゴミ袋の在庫にに気づくこと。掃除機や換気扇のフィルターを掃除すること...などなど細かい名前もつかない作業のことだ。
 

NHKのウェブニュースでは、『妻の家事時間 夫の7倍 「名もなき家事」9割は妻』と取り上げていた。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190914/amp/k10012080421000.html

 

「ママは仕事という仕事をしていないのだから、家事をやるのは当然」と平気で子供達はいう。そういう問題か?仕事とはただ単に収入を得ることなのか?じゃあ、実際私が仕事に出たら、それは誰がするのか?私だろう。やってみなきゃわからない、というが、するはずがない!数週間、家を開けることがあっても、すべてお膳立てしていくことを要求される。

 

私が彼らを甘やかしているのか? 

 

名前がないから、だれにも気づかれない。気づいて自分でやってほしい、私がこなした仕事量を認めてほしい...という意見も耳にするが、決して人に認めてほしいわけではない。家族や、共同生活をする場には、役割分担、というか「気づいてお互いがフォローしあう」そういったことが必要なのではないか?と思うのだ。

 

「名もなき家事」は、「当たり前・いつもそうなっている状況」を維持する作業だ。

 

トイレットペーパーが終わったら、気づいた人が補充する。玄関に靴が広がっていたら、綺麗に並べる。髪の毛が落ちていたら拾う。もちろん、自分自身気をつけておくべきことだが、そうでないことも多い。だからフォローしあうべき。

 

わかるよう敢えて玄関にゴミ類を置いておく。意外にプラスチックは誰かが捨てに行くが、生ゴミや古着や大型ゴミ類は誰も手をつけようとしない。

 

洗濯物も敢えて裏返しになったまま、洗っておく。パンツも裏返しに脱いでいたらもう元に戻さないことにした。必要以上のものにはアイロンがけはしない。

 

不要な物も敢えて玄関にずっと置きっぱなしにしておいたら、引っ越しするの?と何かの修理に来た人に言われたことがあるし、よく家に来ていた友人も、あまりにも見かねて大型ゴミのゴミ捨て場に連れて行ってくれた人もいる。なのに、なぜ家族は気づかない?というか気にならないのか...

 

ある年に夫婦の間で家事と育児の分担がどこまで進んでいるかを示す調査結果が公表された。家事では妻の平均時間が夫の7倍、育児でも6倍にのぼり、依然として妻に偏っている現状が明らかになった。

さらに、献立を考えたり日用品や食材の不足分を確認したりする、いわゆる「名もなき家事」をどちらが担当しているか尋ねたところ、およそ9割の家庭は妻が担っていたと言う。
 
先進国こそ家族同士がより良い方法を伝え合ったり、感謝を言葉にしたり、家事をシェアする中で家族のコミュニケーションを生み出すべきではないか? 所詮誰か(母親!)がやってくれる「他人事」と捉えるのではなく、家族全体で分け合う「共同分担」と考え、楽しめ?とは言わないものの積極的に取り組むべきことであると思う。
 
両親を見ていると、結局は母がやってきたこと(やりすぎてきたこと)が、父の自立を阻止し、老々介護で母自身、命を縮めているように見えるといっても過言ではないだろう。
 
つまり、私自身、家族を甘やかし、自立の道を阻害することで、最終的に自分で自分の首を絞めることになり得ない?!と思いぞっとした。