復活祭から50日目は聖霊降臨祭。
イタリア語では”Pentecoste"と呼ばれるが、これはギリシャ後の”50番目”を意味する言葉が由来しており、今年はその儀式が昨日6月9日に行われた。(春の満月の日曜日に「復活祭」が行われるので、その50日後ということで、毎年移動する)
ところで、私も知らなかったのだが、ローマのパンテオンでは、この”ペンテコステ”のお祝いで、閉祭の祭、43メートルの天井の部分から赤いバラの花びらを雨のように降らすのだという。
この儀式は初期キリスト教時代から始まったものらしいが、長い間休止しており、1995年の”ペンテコステ”から復活したのだという。
赤いバラの花びら、というととてもロマンチックに見え、しかもバラは聖母マリアのシンボルの一つでもあるが、「聖母月」は5月であり、すでに終了している。
「聖霊降臨」とは天から「聖霊」が舌の形をした炎となり人々の上に降りて(メドウーサか?!)来るわけだが、「舌」は、神の言葉を語る力であり、瞬時にして弟子たち全員の口から世界中の言語が飛び出し,嬉々とした弟子達が世界の四方八方に飛び散り宣教の旅に出て行く...というのが、聖書が伝える「聖霊降臨祭」のエピソード。(使徒行録2:1-42)
その「聖霊」、そして十字架に架けられたことで流した「血」のシンボルとして赤いバラの花びらがパンテオンの天井から降ってくる、というのが伝統的な、そして現代の”ペンテコステ”そのものなのだろう。
実際は消防隊がクーポラの外側から裏方として花びらを降らすのだそうだ。
ちなみに、このローマのパンテオン。初代パンテオンは、紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストウスの側近マルクス•アグリッパによって建造された。火事で焼失し、2代目のパンテオンは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建。
元々は、様々なローマ神を奉る万神殿であったというが、608年頃にはキリスト教の聖堂となり、破壊を免れた。
建物自体が非常に改築されにくいものだったので、この荘厳な空間は、今日でも見ることが出来、なんとあのラファエロの墓もここにあるのだ。
そして意外に知られていないのだが、毎年8月6日と9日には、ここで、原爆忌 ”Mai più Hiroshima” (Never more Hiroshima)の儀式が行われている。
聖霊よ、わたしたちの心に息吹を送り、御父の優しさを吸収できるよう導いてください。また、教会が喜びのうちに福音をのべ伝え、世界が新たに希望を取り戻せますように。

