パワーの無駄遣い | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日はちょっと今ひとつテンションが上がらなかった。なぜだろう?

そうだ、昨日嫌な思いをしたんだったわ...と思い出した。

 

詳細は避くが、バスの中でボリューム最大で音楽を聴いているアラブ系の若者が居た。彼らの一人は私がバスに乗った瞬間、私が眉間にしわを寄せ嫌な顔をしたのに気づいて、ずっとチラチラ見られていた。周りを見渡しても、誰もが涼しそうな顔をしている。聞こえないの?なんとも感じないの?そちらの方に腹が立ってきた。こうなると自分が抑えられなくなる。また一緒にいた友人も同じだ。

 

注意したのが失敗だった。逆ギレされてしまった。というか、発散するタイミングを待っていたとしか思えない。私たちが地雷だったのか、相手が地雷だったのかさえわからないくらい、エキサイト。助っ人に入ったおじさんたちに押さえつけられ、「君たちは正しい。でも相手にするな」と言われた。確かにそうなのかもしれないが、見て見ぬ振りがどうしてもできない。50過ぎても、見て見ぬ振りをする人がどうしても許せない。

 

帰宅して、次男に話すとママたちがバカだよ、とやはり言われた。ちゃんちゃん...バカを相手にしても仕方ないよ、と。そうなのだ。そうやって過去に某移民を怒らせて怪我をした。

 

別に誰かを変えさせたいと思っているわけではない。また逆に何もしてくれない、と言っているわけでもない。ただ、マナーが悪い人、モラルがない人、ルールを守れない人、無神経な人、無礼な人、意地悪な人、不寛容な人、思いやりに欠ける人...たちを見ていると、いたたまれなくなってしまうのだ。

 

『「あの人たちはあんなことをするべきではない」と言う代わりに「あの人たちの行為のために、どうして私がわずらわしい思いをするのだろう」と言ってみるのだ』(byウエイン・ダイアー 「自分のための人生」(三笠書房))

 

ある意味、個人主義に徹している気がしなくもないが、こんな人もいる、あんな人もいる、くらいで軽く流せたらどんなにいいだろう、と常々思う。

 

『仁に過れば弱なる。義に過れば固くなる。礼に過れば諂いとなる。智に過れば嘘をつく。信に過れば損をする』

(「伊達政宗公五常訓」)

優し過ぎ、義理堅過ぎ、へりくだり過ぎ、智略を弄し過ぎ、信じ過ぎいずれにも問題がある。何事も中庸が一番。

 

『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい』(by夏目漱石 「草枕」)


結局はほどほどの節度が大事なんだろうねえ。猛省。