泥船?! 〜 やるなら今でしょ! | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

在ミラノ(サンシーロ地区)外国人ママ向けのイタリア語学校•ITAMAの託児所ボランティアをしていたのは、2010年から6年。(2009年の創設直後も日本人生徒の通訳のお手伝いをしていた。)一気に組織が大きくなり、ビジョンがずれ始め、人間関係にも違和感を感じ始め、また自分も勉強し直そうと飛び出し、コムーネ(ミラノ市)の学校に入った。

 

久々勉強できるか?と思ったが、途中で学校自体が郊外に移転。クラスのレベルもかなり高くてヒーヒー言っていたが、久々脳を使っている感じだったのも束の間、次男の学校の学年末の行事で衣装合わせやらお直しのお手伝いが始まり、欠席があまりにも続き、最後は結局フェードアウト。夏休みを挟み改めて通おうか?とも思いつつ、始めは自転車で通えた学校も地下鉄を乗り換えして...となると気持ちが萎えてしまった。

 

ところで、もともとはITAMAの創設者であったメンバーが新たに託児所無しの学校(Punt.it)を、我が家の前の高専に間借りし始めたのは数年前。それでも初級クラスしかなかったので眼中なかったのだが、中級、上級クラスもできたから来ないか?と誘われた。先生は皆ITAMAにいたメンバー。10月に行こうかな...と思っていたが、何かしら用事があり申し込みの時期を逃してしまった。

 

が、が、である。心に引っかかった時は、かならず偶然が度重なるのだ。地元、ということもあるが、私をITAMAに引き込んだラウラとはなんで、こんなにも会うんだ?と思うくらい、道端やスーパーで会い、毎年この時期恒例の彼女の家でのキッチュ•パーティでは、punt.it創設者であるシルヴィアが隣になり、おいで、おいでと誘われた。だってもう入学時期がずれてるし、今更試験もするのもなんだし...というと、大丈夫。上級クラスそのまま行って!というので、今度見学するね、と言っておいた。

 

考えてみれば、近所の日本人の友人にイタリア語を勉強したいというので、punt.itを紹介し、インフォメーションを聞きにいった時点で、「誰の紹介?」と聞かれ、私の名前を出したら試験パス。有無をいわさず入学に至って仕舞った!笑 というわけで、私も授業を見に行って年明けに決めようかと思いきや、そのまま授業に参加。教科書までもらってくる羽目に...まあ、やるなら今でしょ!かな。爆

 

どのクラスも20名近い女性(そのほとんどがアラブ人)ばかりのクラスだが、私が入ったのは、8人ほどのクラスでアラブ系も多いが、ウクライナ、セルビア人、ペルー人もいる。比較的高学歴、というかアカデミックな感じが漂うクラス。こういうの好き!と思った。

 

いきなりの授業では、「イスラエル建国70周年」に関する新聞記事を読んだ。キリスト教の聖書の旧約聖書までは、ユダヤ教もイスラム教も共通なので、さすがに出エジプトと入植の話は皆よくわかっている内容。モー セはイスラエルの民をエジプトから脱出させ、先祖に約束されていたイスラエルの地に連れ戻すために神によって選ばれた人である...というところもまでは合意。笑 しかしその後の歴史に関しては、政治問題も含め知らないとわからない内容だ。終わらない戦争...これは、お互いの赦しがなければ 平和は訪れない。読んでいて、これに関し意見を言え、とか書くよう言われたら、難しいな...と思った。

 

そして、今日は年内最後の日。来れない人も多かったが、おととい不在だったけれど今日は出席、という生徒の中に、数人Itama時代、私がみていた子供たちの母親が数人いた。以前は私のことを「マエストラ」(先生)と呼んでおり、何度先生じゃない、といってもそう呼ばれていたが、やっと同じ「生徒」という立ち位置となった。ほとんどの子供が小学4,5年生になっておりそろそろ中学生になるようだ。月日が経つのは早い。

 

授業は30分のみだけで、持ち寄りパーティとなりまず初めに、中級のクラスが「オーアルベロ」を歌った。譜面はイタリア人でもほとんどの人がわからないので、生徒たちも皆耳から覚えたようだが、なんといって発音を注意させるのに非常に苦労した、と指導した先生がいっていた。

 

その後の食事会は、経験上よく知っているが、まーひどいったらありゃしない!どっとテーブルに押し寄せてくる。慌てて、職員と一緒にお皿やコップを取りやすい場所に一枚、一枚置いたが、人の苦労などお構い無しでガンガン自分の食べたいものだけを山盛りに取っていく。挙句の果てには端に追いやられ、落ち着いた頃、自分の分を取りに行ったが、同じクラスのエジプト人(元Itamaの生徒のクリスチャン)はあんなひどい無教養な状態で恥ずかしい。何かにつけて外国人は!と言われるけれど、誰もがああいう人ではないのに、と愚痴っていた。彼女のことは知らないが、彼女のご主人はイタリアの大学で建築学を学んだようだし、一緒にいたスーダン人も元Itamaの生徒だが大卒で高校で物理の教師をしていた女性。やはり教養のある女性のほうが、空気を読み、先生方に対する尊敬の念はちゃんと表しているようだ。

 

ところで、オラトリオでボランティアをしていた際、司祭は子供が家庭でしつけや教育をちゃんとされないのならば、地域の人たちがしてあげるべきだ、と言っていたが、そう簡単なことではない。彼らの母親がこのような状態だから、子供に躾など身につくわけでもなく、そうそう人の話さえも聞かない。やはり家庭の問題だと実感した。

 

食べるだけ食べると多くの生徒は帰ってしまった。幼児もいないのに、なぜこんなに食べかすが床やらテーブルに溢れているのだ?ひどい人だと、ボトルごと口をつけて飲んでしまう...。結局最後まで職員たちと上級クラスの数人が居残り、教室の掃除をした。

 

「私たちが変わらなければならない」と彼女たちが言っていたのが印象的であった。少なくとも、心ある女性たちと再び出会えたことを嬉しく思う。

 

授業3ヶ月分、遅れを取ってしまった。この冬休みの間に追いつかなければならない。

 

itamaやオラトリオにいた時は、地域に根付きたい。異文化交流というか融合を目指したが、深い溝を感じたものだ。けれど、また明るい兆しを感じている。

 

日本人の仲間に声をかけたら、1月から来そうな雰囲気の人が数人いる!ここから何かが変わっていけば...と期待している。