みんなの道徳 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

よくSNS上で、日本の子供達が学校の教室を掃除する、とか世界のサッカーの競技などで日本人団体が散らかしたものを片付けていき、なんと素晴らしいか!と世界で紹介される。でも本当に本国でも、家でもそうなの?と疑問に思っていたが、先日の渋谷ハロウイン然り、集団心理なのだろうが、あれはちょっといただけない...。

 

私の小学校時代は月曜日の1時間目は「道徳」の時間だった。それが、2015年3月文科省は学習指導要領の一部を改正し、道徳を「特別の教科 道徳」とする、と発表された。ではそれまでの時間は授業ではなかったのだろうか?どうも、特別活動的な領域だったようで、算数(数学)国語のような教科として認められるようになったのは2015年からということで、驚いた。(施行期日は小学生は今年度4月から始まっており、中学生に関しては来年4月から)日本のお行儀が褒められるのは、やはり、「道徳」という授業があるからだろうか?と思っていたが、必ずしもそうではなかったようだし、お行儀の良し悪しも時と場合によって賛否両論だろう。

 

ちなみに、「教科」になったということは、成績がつくということ。心の評価?だとしたら、ちょっと違うんじゃないの?と思うのは私だけだろうか...

 

ところで、これまでの道徳は、主人公の気持ちを考えようなどという「読み物道徳」の面が強かったという反省から、問題解決的学習や体験的学習を取り入れ指導方法を改革することが掲げられている他、臓器移植など答えのない問題も取り上げることが求められているというのだ。つまり、教科となる道徳が、「考え、議論する道徳」を目指しているということ。

 

ところで、画像は現在の中学生の道徳の教科書「みんなの道徳」。本来、次男は日本の中学2年生なので教科書は領事館経由で配布していただける。内容は公徳心、社会連帯、勤労、社会奉仕、自立、自由と責任、友情、人間愛、生命尊重...などがテーマになっている。

 

いじめ問題も扱われていたが、全国の国公私立小中高、特別支援学校が、2017年度に認知した「いじめ」は、前年度より9万1235件増の41万4378件で、過去最多を更新したことが、先月25日、文部科学省の問題行動・不登校調査でわかった。これはいじめ問題、不登校問題は過去最高になっているという。どうして、これほどまでにいじめや不登校が増えてしまっているのだろう?非常に心が痛む。

 

2日前、ミラノ郊外でも、子供(といっても高校生)が学校でいじめに遭い、その実行しているグループの一人の保護者と話し合おうとして出かけて行った父親が帰りがけに、上記実行生徒たち14,5人にボコボコに殴り蹴られる、という事件があった。これは立派な傷害事件。この世の中、もうどうなっているのだろうか?

 

道徳の基本は、「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」つまり、「自分がやられて嫌なことは、人にしてはいけないよ」ということ。

 

「自由」とは何か?好きなことをすることだけではない。「自然法則(本能)の支配から解放されて、自分で自分の行動を決定できるということ」。それが、人間の「自由」。イタリアには「道徳」の授業がないからこうなってしまうのか?そうではないだろう。やはりそれは親や大人の責任であると思う。

 

「人間がやりたいことをやること」は、責任も伴うわけで、自ら制御できなくては、それは「自由」ではなく「不自由」になってしまう。ある意味、動物同様、本能と欲望のままに生きることになってしまうだろう。自分のやりたいことに逆らって、やるべきことをやる、それが人間の自由。

 

道徳の時間を通じ「生きる力」を育む、というのは理想だが、「選択」には「責任」が伴うということ。「自分がやられて嫌なことは、人にはしてはいけない」これは、小さい頃から教え込まないといけないし、学校で教えるべき「学問」なのか疑問に残った。

 

 


http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/index.htm