やっと夏休みが終わり、新学期が始まった。
毎年思う。うちの愚息等いつになったら、やる気スイッチ入るんだ?
人間は、やる気になった時に大きく成長する。だから、勉強でも仕事でもスポーツでも、やる気、又は意欲というのがいちばん大事。
では、意欲を育てるためにどうしたらよいのだろうか?
空手の師範いわく、それは雨上がりの虹のように「出た」と喜ぶのもつかの間すぐに消えてしまうという。だから、「やる気」が沸き起こったらとにかく行動をすぐに起こすことが大事だと。
私なんて思いつくとすぐに走り出す方で、フライングし放題。爆
また「これやりたい!!」と猛烈に思った時、大人の中には「もう少しよく考えてからにしなさい...」という人が少なくないので、子供の意欲を潰さないようにしないといけない。
何れにしても、子供が勉強というものに自覚を持ち、勉強自体の面白さに目覚めるのは一般に高校生以降だという。それまでに成績がそこそこに良かった子が、いきなり悪くなるのは、それまでは言われたことさえしておけば良かったのが、それ以降は自分の意思と工夫が必要になるからで、自律心がないといきなり、坂道を下るようになってしまう。
本来勉強なんてそうそう楽しいものではない。言ってしまえば退屈なことも多い。けれど、その退屈さに耐える力をつけることも重要。私は、熱中することも大切だが、退屈さに耐える継続の力も大切だと思う。
毎日同じことを続ける習慣、それは小さい頃からつけておくべきことだけれど、それができずに育ってしまったら仕方がない。その時点で身につけるしかないだろう。子供は自分の意思で毎日同じことを続けることをしなければ、自律心は育たない。
今時の社会では、子供たちに勉強を退屈させないようにいろいろな工夫がされすぎているように思える。子供の幼稚園時代、賞罰で刺激を与えたり、競争をさせたりしてものを与えている親がいた。けれど、子供はものを大切にせず、我が家にお古がやってくる。子供は喜ぶが、相手の家庭の子供がものを大切にしないのはみえみえだった。また、スタンプラリー式、ゲーム式など目先の変化で面白さを演出したりして勉強に興味を持たせようとしているクラスや家庭も知っているが、実際どうだったのだろう?子供はかえって退屈さに耐える力がつけられない気がしてしまう。ちなみにうちの夫も物でつる傾向がある。あれが一番最悪。(もちろん、私にはないが、一番ご褒美もらうべきは私だわ!)勉強はできないよりできた方が良いに決まっているが、負けおしみではないが、それほど子供達に期待するのはやめた。(というか自然にそうなった。とほほ)
それよりも、自分中心ではなく、人様のことを思い、動ける人間になってくれれば良いと思う。それは受け身ではなく、やはり自発的に。また、問題意識を持ち、処理できる人間。そこには、やはり理性や感性、そして知性も求められるであろう。そうなると単にレールにのった人生よりも、いろいろな経験をし、自分の器を大きくしていくことが重要なんだなあ。
だから留年も無駄にはならないだろう、と寛容に見ようとしているが、まあ勉強以前に自分を見つめる力が必要か?そうでないと、人にも優しくできないし、自分を磨くことさえできない。何事にも疑問をもって考える力。受け身だとなかなかそういう物が身につかない。
いや、その前に挨拶か? 裏表なく、元気に挨拶。気づいたらすぐに走れ!それだけは言っているのだが、走るのは私だけ。
堂々巡りのとほほの毎日。私の忍耐力だけが毎日更新されていく...
