1月1日
Prendiamoci cura dei germogli di pace che stanno spuntando e trasformiamo le nostre città in cantieri di pace.
私たちの街が成長し、平和の街に姿を変えるよう、平和の芽を育てましょう。
1月2日
Nella semplicità del presepio noi incontriamo e contempliamo la tenerezza di Dio, manifestata nel Bambino Gesù.
プレセピオの簡素さの中で、幼子イエスに現れる神の優しさに出会い思い巡らしましょう。
1月3日
Nel nome di Gesù possiamo dimostrare con la nostra testimonianza che la pace è possibile.
イエスの名において、平和が可能であることを私たちの証をもって示すことができます。
1月4日
Dio si è fatto Bambino per essere più vicino all’uomo di ogni tempo, dimostrandogli la sua infinita tenerezza.
神は、私たちにいつでも彼の無限の優しさを見せながら、男女の近くにいる子供となられました。
1月5日
Dio passa lungo le strade polverose della nostra vita e, cogliendo la nostra nostalgia di amore e di felicità, ci chiama alla gioia.
神は、埃にまみれた私達の人生の旅路を共に歩み、私達が愛と幸せを希求していることを知り、私達を喜びへと招いてくださいます。
1月6日
Come i Magi il credente, spinto dalla fede, va in cerca di Dio nei luoghi più nascosti, perché sa che là lo aspetta il Signore.
東方の三博士のような信者は、信仰に導かれ主がそこで待っているだろう特に隠れた場所にいる神を探しに出かけます。
1月7日
l nome del Battesimo è anche “Illuminazione”, perché la fede illumina il cuore, fa vedere le cose con un’altra luce.
洗礼はまた「照らし」と呼ばれることもあります。信仰が心を照らし、異なる光と共に物事を見ることができるようになるからです。
Gioiamo insieme ai fratelli e alle sorelle dell’Oriente cristiano che oggi celebrano il Santo Natale.
今日、クリスマスを祝っている東方教会の兄弟姉妹の皆さんの喜びを分かち合いましょう。
1月9日
Un’anima gioiosa è come una terra buona che fa crescere bene la vita, con buoni frutti.
喜びに満ちた魂は、生命がすくすくと育ち、よい実を結ぶことができる健全な土のようなものです。
1月10日
Quanto più siamo radicati in Cristo, tanto più ritroviamo la serenità interiore, anche in mezzo alle contraddizioni quotidiane.
キリストにより深く根ざせば根ざすほど、日常の困難さの中にあっても、内面の平穏をより多く再発見するようになります。
1月11日
Chi non soffre col fratello sofferente, anche se diverso da lui per religione, lingua o cultura, deve interrogarsi sulla propria umanità.
たとえ違う宗教や言語、文化に属する人たちであろうと、苦しんでいる人たちと共に苦しむことができないなら、私たちは自分自身の人間性に疑問を抱くべきです。
1月12日
L’incontro con Dio e con i fratelli non può attendere le nostre lentezze e pigrizie: l’invito è per oggi!
神と兄弟姉妹達との出会いは、緩慢さや怠惰な理由で待つことはできません。出会いは今日です。
1月13日
Non dobbiamo aspettare di essere perfetti per rispondere al Signore che ci chiama, ma accogliere con cuore aperto la sua voce.
私達を呼んでいらっしゃる主に答えるため、完璧になるのを待つべきではありません。むしろ主の呼びかけに心を開きましょう。
1月14日
Lavoriamo insieme per accogliere, proteggere, promuovere e integrare chi è costretto a lasciare la propria casa e vive momenti di grande difficoltà.
国(家)を追い出され困難の中にいる人を歓迎し、保護し、受任し、融和できるよう共に働きましょう。
1月15日
Vi chiedo di accompagnare con la preghiera il mio viaggio in Cile e Perù.
祈りと共に私のチリ、ペルー司牧訪問に寄り添っていてください。
PapaFrancesco@Pontifex.it
本日よりパパ様は18日までチリを、同日から21日までペルーを司牧訪問されている。
そして、事前にパパ様はビデオメッセージとしてこの二カ国への訪問を「福音の喜びの巡礼者として、すべての人と主の平和を分かち合い、同じ希望のうちに信仰を強める」ためのものと話された。
また、チリへ向かう機上で記者団に、長崎の少年の写真を示し、「核戦争を憂慮している」とおっしゃったという。
これは、アメリカの従軍カメラマンであった故ジョー•オダネル氏が1945年、原爆投下後の長崎で撮影した「焼き場に立つ少年」の写真である。
この写真で、少年は原爆で亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待っている。オダネル氏のカメラはこの少年をまっすぐに捉え、想像を絶する悲劇を背景に、尊厳を保つその姿をリアリズムをもって映し出している。
この写真で、少年は原爆で亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待っている。オダネル氏のカメラはこの少年をまっすぐに捉え、想像を絶する悲劇を背景に、尊厳を保つその姿をリアリズムをもって写し出している。撮影から70年以上が経った今も人の心を揺さぶるこの写真に、パパ様も大きな印象を刻まれ、これをカードにすることを希望されたのだという。
写真が印刷されたカードの下には、「…戦争がもたらしたもの」と、パパ様の短く重い言葉を添えて、署名されている。
「血がにじむまでに噛み締めた唇の表情から、苦しみが感じ取られる」と仰っるパパ様。核戦争の現実の脅威についてどう思うかと質問した一人の記者に対し、パパ様は偶発的な状況に陥る可能性を恐れていると答え、核兵器廃絶は急務との認識を改めて示された。

