人生には、思いがけずぽかっと心に「穴」が開くことがある。
それが病気であったり、大事な人との別離であったり、家庭内での問題やら仕事の問題など様々であろう。
それを嘆き苦しむか、事実を恨むか、どうしようとボカっと開いた「穴」の事実は変わらない。
大好きな故シスター渡辺は、その穴を埋めることも大切だが、「穴から見る」ことも、生き方として大切だとおっしゃっていた。開いた穴を覗くことで、その時まで気づかなかった他人の愛や優しさに、目をみ開かされることがあるのだと。
主よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知をお与えください by ラインホルド•ニーバー
開いてしまった穴に対して、何が変えられるかといえば、その穴に対する私たちの態度だ。穴が開くまで見えなかったものを、その穴から見てやろうという態度、つまり、穴のプラス面を見ようとする姿勢。
「闇」があるから「光」があり、「死」があるから「生」がある。
最近、まさかの故障で、空手の稽古を休んでいる。やることはいろいろあるにもかかわらず、生活にハリがなくなった。何だかな...と思う毎日。思うままにならないことにイライラせず、謙虚に物事を受け入れ、感謝する自分に変わること。これには想像以上に勇気が必要だ。何を受け入れ、何と闘うかをわからせてください。
きっと年を取っていけば、もっと「穴」に遭遇するのだろうなあと思う。思うように動けない父。うつ病と闘う友人。最近肉親を亡くされた友人----。そういった人たちのことを思うと、人生が待ち受けている「穴」はまだまだあるのだと思う。
上記シスターは、著書の中で、「運命は冷たいけれども、摂理は温かいものです」と、おっしゃっていた。「摂理」──自分が必要としている恵みをもたらす人生の穴なのかもしれない。そして私たちは、この穴なしには気付くことのない多くのことがあり、人生はそれに気づくか気づかないかによって変わってくる。
神様は乗り越えられない試練は与えられないという。私たちは全てを摂理として捉え、プラス思考で生きていきたいもの。
