武道には「残心」という所作がある。
勝負がついたとホッとした瞬間、相手が反撃するかもしれないし、こちらもまだ技を仕掛けるチャンスもある。要するに、一つの動作(打突)のその後も気を抜かずに備えること、これは構えそのものでもあり、心の構えでもあるだろう。
一般的なスポーツだったらガッツポーズをしたり、Vサインをしたりする。けれど、勝敗の喜びや悔しさといった感情を外に出すことは、「残心がない振る舞い」であり、武道精神に反する。
勝っておごらず負けて悔やまず、常に節度ある態度を堅持する。
(武道憲章 第3条)
これぞ、残心。これぞ武士道の真髄、武士道の奥義だと感じる。
ところで、この残心、武道のみならずお茶の世界でもあるそうだ。
それは、おもてなしの余情の意味があり、本来、お茶の席は、お茶も人も時間も空間も一期一会。お客様には、お茶席の後もその余韻を感じていただく間を作ったり、主人は帰っていく客が見えなくなるまで、その客が見えない場合でも、ずっと見送る。つまり慈悲の心。また、会が終わり、客を見送った亭主は一人茶室に戻り、今日の茶会を見つめなおし、一幅のお茶を喫して客に思いをはせる。その余韻の心もまた「残心」なのだそうだ。
私たちは日々忙しく、自分のことばかりで、他を思いやることなどなかなかない。もちろん、他者を思いやる心も私たちにはあるはず。その心をこの「残心」という教えから思い出せれば素敵だと思う。
折りえても 心ゆるすな 山桜 さそう嵐の 吹きもこそすれ
(桜を手に入れたと油断するな。嵐が吹いてしまったらどうするのだ)
何にても 置き付けかへる 手離れは 恋しき人に わかるると知れ
(茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ)
http://www.nipponbudokan.or.jp/shinkoujigyou/kenshou