考えて見えば、日本は三連休だった様子。そうか、今日は「敬老の日」だったのね、と今朝気づいた。
ところで、この夏、親の老いをまざまざと見、やたら死生学や人間学についての本を読み、人間の「晩年」というものを考えてしまったものだ。年は取るものではなく迎えるものだと「老年学」の修士号をもたれるヴァレンタイン神父様はこの夏、帰国した翌日の勉強会でそうおっしゃっていた。
人間は, 最期の瞬間まで生きる意味を見つけようとする存在だと思う。人との関わりを求め続け、さらには大いなる存在(神、仏)とのつながりを考えることも多くなってくるのではないだろうか。
若い頃は、年をとることなど考えないけれど、実際年をとると(その途中でも)経済的な問題や病気、孤独感などぬぐい切れいないものが降りかかってくるのだろう。
実際、私も小じわや白髪がちらほら出てき始めた。考えてみれば、母は40歳代でかなり白髪が出てき始めていたので、私などまだましなほうかもしれないが、やはり健康面や、身体能力も衰えが目立ち、頭の回転も遅くなってくると、いよいよもって自分も「老い」を考えるようになってくるのだろう。
その心の準備として、精神的な安定を高めておけば、実際に老いが私を捕らえたとしても、それほど落ち込まないで済むことだろう。(と思いたい)
ところで、今年の厚生労働省の発表によると、世界の長寿比較は男女共1位は香港で男性が81.32歳、女性が87.34歳。そして日本は2位で男性が80.98歳、そして女性が87.14歳だったという。香港のお年寄りは概して社交的。用がなくても街へ出て談笑するという。感情を出してストレスを発散させる。
やはり外に出て、人に触れ、冗談を言ったり笑ったりすることは大切だ。
数日前に50歳を迎えた友人に会うと、生活がつまらない。毎日が嫌で嫌でたまらないと言っていた。そう?私なんて毎日楽しいよ!と話した。満足感とは外から与えられるものではなく、自分の意識や態度を変えることで見つけるものであり、楽しさは自ら作り上げていくものだろう。
Quality of life。何に重きをおくか。結局は若い頃からの心がけと前向きな姿勢でありつつ、年を重ねていくものだと思う。
人生は贈り物であり、時間も贈り物。「老いのレッスン」はすでに始まっている。
