ミニマリズム 〜 シンプルライフ

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一時帰国から戻る際、比較的少ない荷物に鼻高々でいたが、ミラノの自宅に戻り、あまりのものの多さに唖然。
 
心身ともにシンプルに生きたいと思いつつ、家に物が多く、落ち着かない。

余計な物は買っているつもりはないのに、物は増え、それほど執着力があるとは思えないのに、処分できていない。なぜなんだろう?
 
母がここ数年実家を綺麗に片付け始めている。少し寂しい気もするが、それはそれで素敵な生き方だ。
 
また友人にご近所のお年寄りの家の押入れや物置の整理をお手伝いしている人がいる。「お年寄りってものを捨てられないのよ」と言っていたが、執着心もあるだろうし、今回両親を見ていて、まずは体力的に無理、という現実もある。
 
定期的に、いらなくなったものを整理して玄関に置いておくと、よく「そろそろほかすものあらへん?」と戦友?のばるみんから連絡が入り、郊外のゴミ捨て場所へ一緒に捨てに行ったものだ。その彼女も帰国し、玄関に置かれたゴミは、家族の目には映っていないようだから不思議でたまらない。
 
ところで、聖書にはこういった句がある。
 
「天に富を積む」俗世に住む私たちは、全てを捧げることは困難かも知れないが、自分の心の内を空にして、心の中のちいさな場所を我が主がおいでになれるよう、空けておく事ができる。
 
ゴミが出るなら、もともとものを持たなければいい。自分の好きなものだけに囲まれていれば十分では?と思ってしまうのは、年を取り始めた証拠だろうか?
 
とはいえ、溢れる物資、情報の中、いいものだけを選りすぐりながら生きていく事は可能だが、では、苦しみや不幸のない人生が良い人生か?となると、それは違う。苦しみや不幸にも意味があると思いたい。物もあまり多くを持たず、贅沢や無駄をしない、ついでにゴミを少なくしよう...とシンプルライフに憧れつつ、精神生活においては、全てに置いて意味があり、無駄な物は何もない。
 
もしかすると物質的な豊かさと、精神的な豊かさは反比例するのだろうか。
 
心豊かな「質素」な暮らし。憧れつつ、この物の多さに途方に暮れている。
 
やるなら「今」でしょ!! 自分に気合を入れる...。
 
 
 
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