ずっと、このことを話したかったの
ずっと、このことを書きたかったの
ずっと、このことを伝えたかったの
透明のこと。
いちばん大事なのは、待つことです。
母性に立ち返るとき、問題は自然に解決します。
「いのちのうつしかえ」のとき、
人も透明になるのです。
透明だと、ほんとうに、生きやすい。
何かになろうとしなくても、
それは自分の中にすでにあるものです。
透明になって真実に生きていれば、
それがいつか必ず真実となってあらわれます。
だからわたしたちに今できることは、
ただ精一杯、真面目にていねいに生きていく、
これだけだと思うのです。
「限りなく透明に凛として生きる」(佐藤初女 著/ダイヤモンド社)
なんと素晴らしいタイトルなのでしょう。まさに私がそうしたい生き方。シンプルライフは理想だけれど、私はどうしても、人に巻き込まれてしまう。いや、自分から飛び込んでいるのか?
ところで、著者の佐藤 初女(はつめ)女史は、日本の福祉活動家、教育者。1992年より青森県の岩木山山麓に「森のイスキア」と称する悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場を主宰。それ以前は弘前市内で自宅を開放して同様の活動をしており、こちらは「弘前イスキア」と呼ばれていたという。素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しにより、からだから心の問題も改善していくことができると訴えていらした。まさに日本のマザーテレサ。
昔から今まで変わらないのは、今日と明日が同じ一日であってはいけないという気持ちです。
必ず何か違うことがあるので、それに気づいてすみやかに実践していきたい。
大事なのは、そのときに起こる出来事をどうやって受け入れられるかだと思っていますから、たとえ突然お客様が見えても、わたしは会うことにしています。
訪ねてくる人も何かあって訪ねてきているわけだから、それを受けとめる。
その人が安らぐように、安心できるようにしたい、そう思うのです。
もちろん、体が疲れていたり、時間がなかったりすると、どうしましょうかという気持ちになりますが、それでもこの方は神様のお使いなのだと思って会います。
それで会ってみれば会ってよかったと思うんです。
「この出会いなくして、今のわたしはありません」
という言葉が好きなのですが、やはり出会いがあれば、そこに気づきと発見がありますので、どんな人でも会いたい。
このような毎日ですので、まわりからは時間をすべて人のために使っているように見えるようですが、わたしはそうは思っていません。
自分のためというわけでもなく、神様からいただいた時間というふうに考えているからです。
私は憂鬱になったり、不安になった時、本来だったら家に閉じこもっていたい気もするけれど、敢えてメルカートや人ごみに出て行く。そうすると、必ず知り合いに会うからだ。「元気だった?」「最近どう?」例え、「チャオ!」だけでも人とコミュニケーションをとることで、元気をもらえる。笑顔で癒される。
本来は自分が元気になりたかったのに、逆に会った人に愚痴を聞かされたり、相談を受けることもある。けれど、その人が憂鬱や不安を吐き出すことで、少し楽になる顔を見ると、うわーっネガティヴ·パワーもらっちゃった!と悲観するのではなく、その人の楽になった顔を見ることで、私も嬉しくなる。基本的に面倒だ、と思いつつ「人」が好きなんだろうなあと思う。そして「楽しい」ことが好き。
「この出会いなくして、今のわたしはありません」まさにそう。出会いがあれば、そこに気づきと発見がある。どんな人と会っても時間の無駄はない。要は、いかに出会う行動をしているかが肝心なのだと思う。声をかけられればどこにでも顔出すもの好きな私。いや、声をかけられなくても、ふらーっと出て行っているか?苦笑 一期一会。すべての恵みに生かされ、活かされている。
神様に感謝。
