L'Oratorio estivo 2017 オラトリオ ~ DettoFatto その2 「信 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

来週から地獄の夏休み突入。

 

8日の午前中に学校が終わるが、午後からオラトリオ開けるって寛大すぎませんか〜?!(私はあくまでもその翌週からしか行きませんが。。。!)

 

「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来た」 (マタイ20:28)

この言葉の中にどう生きることができるのか、が私の人生のテーマでもあるように思えるが、悲しいかな、「喜んで!」「嬉しくてたまらない!」と言えない自分がいる。

 

毎週、オラトリオの責任者の一人として在籍、続々と申し込みが続いている。(それでいて次男をどうするか、まだ決めかねているのだが...) 昨年、受付の際、普段カテキズモはもちろん、子供をオラトリオにも送っていない男性が、私に対し、”外国人女性”だから、”信用できない”、ということで申し込みを躊躇されたが、今年もやってきた。「外国人の税金は我々が払っている!」とか宣い(それと私がどう関係あるのか!)最終的には、しぶしぶ支払ったけれど、あとから主任司祭に私にお金を託した旨、念を押すためにか電話を入れていたのは、私は知っている。そして、一瞬私の顔を見て、わだかまりがある表情をしたのも捉えたぞ! まあいいんですけどね。私もいちいちそんなことで気分を害していたら、このミラノでは生きていけないし、所詮教会は罪人の集まり。私だって、しょっちゅうぶっち切れているのだ!人を見下す人間に対し、特に、女性を見下す輩に!!(毒舌!)

 

昨年はオラトリオのオーガナイズの悪さに辟易した。また内部でぶつかることも多かった。また唯一心の支えであった司祭がこの秋に移動。どうも私の心はすっきりしない。

 

代母のシスターマリアには常に「信•望•愛」の大切さを毎週聞かされる。ラテン語のFides, Spes, Caritasである。聖ソフィアの3人の娘の名前でもある。余談だが、ラテン語のそSofiaは古代ギリシア語の、智慧・叡智を意味するソピアー(Σοφια)より派生している。

 

「あなた方の信仰に基づいた働き、愛に伴う苦労、わたしたちの主イエス•キリストへの希望に支えられた忍耐...」(Iテサロニケ1:3)

 

信仰は神との出会いから生まれる。それは、愛してくださり、受け入れてくださる方を信頼するという実りある体験。この体験は、信仰者にとって、日常の暮らしの原動力になり、生きるエネルギーとなる。愛されて受け入れられるという神との出会いは、その体験を他者に分かち合い、そしてその人にも実践してもらうこと。愛のそれぞれの形は信仰の行いの一環。愛を実行することによって信仰が更新され、ますます強められていく。「希望」は欲しいものを願い求めることとは異なる。もしあるものが欲しいなら、それを自分の方に引き寄せ、手に入れようとするが、”希望”の場合は、わたしたちが希望に引き寄せられ、導かれていくのだ。つまり希望は、人生の途上で迷子になっても、傷付きながらも忍耐を生み出し、方向性を示してくれる...。 

 

やはり、信じて進むしかないな、と思う。木曜日の午後に行われるラボラトリーでは、工作教室担当。高校生以上のリーダーたちの指導のため来週までにサンプルを作らなければならない。怒涛の学年度末。学校は終わってもいつまで続くんだあ?苦笑

 

毎年テーマソングが設定され、それに合わせたダンスも発表され、毎日ラジオ体操のごとく、朝から踊りまくる。ミックスリストとして数曲発表されるので、オラトリオにいっていれば自然に耳から覚えるのだが、予習予習...

 

 

 

 

 

 

 

http://www.oratorioestivo.it/Objects/Home1.asp

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12273734224.html