空手の「翔舞の陣」が終わり、一息つくまもなく、全国大会への練習へとスイッチを入れかえた。
今までの稽古とは打って変わって、型の細かいことまで修正、修正...夜は、筋肉痛予防のため、湿布ミイラと化す。とはいえ、稽古は大抵夕方。日中は、次男の中学の学年度末のフェスタの準備のため、結局毎日学校へ通っている。マントの方も初めは20枚と言われたいたが、最終的に40枚必要となった。が最終的に縫えるボランティアが3人になり、私も13枚縫い、お役目から解放された。300着ある衣装のチェックはあるものの、だいぶ気が楽となる。あとはフェスタの当日を待つだけ。
そして今年もまた、現地校が夏休みに突入と同時に始まる夏のオラトリオに関する打ち合わせがあった。子供達の相手をするのは、高校生や大学生のリーダーたちが中心だが、彼らの「リーダー養成」の場にもなる。
私は、昨年同様、お昼頃に行って、配膳、片付けに、掃除、ラボラトリオ(折り紙教室)、および遠足の付き添い、と裏方作業。昨年は一昨年前よりも、ボランティアは多かったのにもかかわらず、なぜか私が関わっている時間が多かった。どんな仕事もキリスト者としての「召命」と考えれば良いのだろうが、何かと”不公平”を感じることも多かった。また、WhatsAppで連絡を取り合えるようグループを作っても、あまり機能しなかった。
今年は、どうすればうまく行くか?担当司祭に意見を求められた。誰か大人のグループでも毎日いる責任者が必要でしょ?と私の顔を見ながらニヤニヤしながら言われた。えーっ私???
とりあえずギリギリまで知らぬ顔をして通すつもりだが、今年の夏のオラトリオのテーマは”DettoFatto". 旧約聖書の「創世記」では天と地が、そしてその万象とが7日間の間に完成したわけだが、有言実行とでもいおうか。でも神様だから、言ったことがそうなるのは当たり前。では「創生」そのものか?
ちなみにリーダーたちは、イタリア語では”animatore"(アニマトーレと呼ばれる)。”anima"は魂、霊魂、命、精神、活力などの意味があるのだが、"animare"はそれらを与える、という意味になる。そして、”animatore"はそれらを与える人。ちなみに"animazione”は英語の”アニメーション”と同じで動画のことも言うが、生命、生気を与えること、活気づけること、ともなる。
ところで、忙しくなると、私は、カゴの中を走り回るハムスターかい?!と思うことがある。けれど、それも意識の問題であると思う。自分が、何を?誰のために?しているのかを意識していれば、忙しさの中にも意味を見出せるし、それさえ忘れてしまえば、ただただ惰性となり流されてしまう。
ただ、体が疲れ、心も疲れてしまうと、動けなくなることもある。なぜそこまで自分の限界に挑戦するのだ?心が空回りし、心をすり減らしてまで何の意味があるのか?葛藤となる。そういう時は、決して焦らないこと。深呼吸をして、自分の限界を謙虚に受け入れるしかない。
「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来た」 (マタイ20:28)
私たちは、この言葉の中にどう生きることができるのか、今年もまたよい機会を与えていただいたと思う。神に感謝。
