贔屓 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

我が家のアホ長男は高校を2年も留年しており、現在私学で2年分を取り戻すコースを取っており、学年末に試験が通れば、来年度(9月以降)希望校に4年生に復帰できることになる。何れにしても1年遅れとなるが...それはどうでも良いのだが、昨日、彼の学校に学費の小切手を持って行った。毎月支払いに行っては、校長と話し、時間があれば、各授業の教授たちと長男の状況を聞く。

「パジェッラ(成績表)ご覧になりました?」と校長に言われ、???と思った。確かに数日前に前期のパジェッラをもらった、とは本人が言っていたが、どうもタイミングが合わず一緒に見ることができず、そしてそのまま忘れてしまっていた。

「決して嘆くような悪さではないですから、見てみますか?」といってコピーを見せてくれた。確かに悪くない。というか、もう3度目なんだから、もっといい成績取れないの?と思うが、まだ習っていなかった3年生の分も合わせて猛スピードで勉強しているのだから、ここは褒めるべきか?苦笑 しかも理系高校に行きつつ、成績の悪かった理系の成績も他の教科と大差がない成績となってきている。「そして、クラスではよく発言をするし、クラスメートはもちろん、プロフ(教授軍)たちの関係もすごく良いですよ。」と言う。日系企業でアルバイトをしていた時も、内部に知り合いがちらほらいたが、親バカちゃんちゃかりんだが、評判は決して悪くなかった。というか、かなり褒められ、嘘でしょう?という気さえした。補習校の担任にも言葉遣いや人に対する態度はよくなった、と言われたから、対人関係は誰に似たのか?(笑)悪くないんだな。なのに、現地高校の2年生での1回目の留年は仕方なかったとはいえ、2度目の2年生は学級委員をし、率先しクラスをまとめていたわりに、なぜかプロフからの対応は冷たく、やられたな...と思った。

やられた、というのは、イタリアではどんなに成績がよくても(長男の場合は違うが)担任やプロフに嫌われたら、おしまいということ。あからさまなプロフの「好き嫌い」がまかり通っている世界なのだ。贔屓されるものはいいだろうが、
嫌われるのは、外国人だから、という理由のある人もいれば、性格的に、とかまあ色々原因は様々のようだが、実際、なんであの子が留年?と言う真面目で優秀な子も数人知っている。そして、一人のプロフが生徒に対し、ネガティブな評価を出せば、右に倣えで簡単に、別の教科までネガティヴ評価になることも多々ある。残念なことながら... そういう意味では、長女の高校時代は、いつ留年をしてもおかしくなかったが、常に彼女をくんでくれる担任に恵まれていたということ。

ところで、贔屓とは、自分の気に入った者に対して肩入れし、援助することである。贔屓をしてくれる人のことを贔屓筋などと呼んだ。語源は中国の伝説上の生物である贔屓。(画像参照:体は亀、頭が龍の姿をしている龍の子供。彼らは9匹(九龍)おり、第一子の名前が”贔屓”。第一子として親龍がとても大切にしたそうで、そこから「ひいき」という言葉の語源となっているようだ。


そして、肩入れしている理由が不透明で、公平でないと判断される場合は、依怙贔屓などと呼ばれる。「依怙」と「贔屓」が合わさった四字熟語で、江戸時代初期から見られる。「依怙」は「頼ること」「頼りにするもの」の意味であったが、中世頃から「頼りとする者を支援する」という意味でも使われ、一方だけを肩入れする意味に転じたようだ。

とは言え、自分が真面目に何かに取り組んでいるにもかかわらず、近くにあからさまな贔屓されている人がいれば、気分は悪いものだ。

最近、偶然にも世の中をうまく立ち回って行くためには, 贔屓されやすく生きることも必須と主張している記事を読み、要領の良さだけが優遇されるのもどうよ、と思ってみたが...、考えてみれば私も、学生時代、職場でも先生や上司に優遇されることが決して少なくなかったかもしれぬ。それで逆恨みか?嫌がらせをされたこともある。が、私の場合、一見優遇されているようなことがあっても、気がつくと結局、別の? 重い責任や忍耐を課せられている事が多く、なんで私? なんで泥舟に乗せられているの???という事ばかり。 これは贔屓じゃない!!苦笑 

結局、贔屓とは、時と場合と都合と立場によって、使い方、そして取り方が変わってくるものなのか?苦笑 

関西出身の友人を、別の関東の友人に紹介した際、「ご贔屓によろしゅうお頼申しますっ。」と言っており、粋だわ~と思ったものだ。

 

これからも『ミラノの日常』をどうぞご贔屓に!