積ん読 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

最近、イタリア語に翻訳不可能なのか?そのままの日本語がイタリア社会に登場している。

 

”hikikomori”、”karoshi”...たとえ日本語とはいえ、あまり喜ばしい言葉ではないな。そして、ここ数年、"tsundoku"という言葉をよく見かけるようになった。

 

実際イタリア語には、「(柱のように)積み重ねたもの、山」という意味の "pila"という単語があり、大抵は、una pila di libiri (piatti) 本(皿)の山、といった例文が紹介されている。私の場合、「アイロンがけの山」だが...苦笑。すぐに1メートルを超えてしまう!!

 

話は逸れたが、イタリア語の上記のような単語、言い回しはあるものの、あえて”tsundoku"という言葉が最近使われるようになっており、ほーっと思った。

 

先日、朝日新聞の「天声人語」には、『外国語に訳しにくい単語を集めた『翻訳できない世界のことば』という本があり、日本語のTSUNDOKU(積ん読)が取り上げられていた。「本を積み重ねて読んでいない後ろめたさ」と「いつかは読みたいとの気持ち」を込めて訳すのは、たしかに難題だろう...』と書かれていた。

 

私も読みたい本、読まなければいけない本が常に山積みになっている。(娯楽系もあるが、空手系、キリスト教系がほとんどだが)そこへ、また最近日本の友人からどっと本が届いた。あちゃ〜!!また山が高くなったぞ!! 確かに本を重ねて読んでいない、読む時間のとれない後ろめたさはある。最近も、空手の師範から興味深い本をお借りしているが、こんなの1日で読めるだろう!と思った。以前の私だったらそうだろう。ただ、本は移動の時間でしか読む時間がない。しかも、読み始めると(特に座って)、いきなり睡魔に襲われ、なかなか前に進まない。進めない。あちゃ〜っ!!

 

そういえば、まだ東京の法律事務所に勤めていた際、個室の窓以外の壁という壁が本で埋まり、床からも本がタケノコのように、ニョキニョキと生えてきているのでは?というくらい本が積み重なって置かれている弁護士がいらした。そして、しょっちゅう、彼の部屋から爆音がしては、皆で顔を合わせては「また雪崩が起きた〜!」といって笑ったものだ。

 

ところで、イタリア語での"tsundoku"の解説を読んでいたら、イタロ•カルヴィーノの著書「冬の夜ひとりの旅人が」の興味深い一節が紹介されていた。

 

 

>この本は、本を愛する人方々への聖書といっても過言ではない。文字の世界の冒険、小説の中の小説、またはそれ同等である。”「冬の夜ひとりの旅人が」を読むことを信じるか?”答えはノーだ。このフレーズのみで、この本の要約が完璧になされている。それは知性と才能にみちたカルヴィーノの代表作でもある。許しがたいことだ...”

 

意味不明だが、気になる。苦笑 そして、日本語のレビューを見てみると、>次々に斬新な方法を創り出すイタリアの作家の、型破りな作品。すぐに中断してしまう、まったく別個の物語の断片の間で右往左往する「男性読者」とそれにまつわる「女性読者」を軸に展開される。読者は、作品を読み進みながら、創作の困難を作者と共に味わっている気持ちになる、不思議な小説。...とあった。 

 

とはいえ、外国の文学に関しては、訳者によってかなりイメージも変わってしまうので、要注意だ。若い頃、サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」を読んだ。誰の翻訳だったか覚えていないが、かったるかった記憶がある。それが昨年、村上春樹氏の訳したものを読んだら面白かった。

 

「冬の夜の...」気になるな...まずい、まずい! 手元にある本を全て片付けてからにしよう。

 

http://1000ya.isis.ne.jp/0923.html