私は、スーパーで買い物するよりも、メルカートで買い物をする方が好き。やはり、野菜や果物が新鮮ということもあるけれど、人とのやりとり、そしてあの喧騒が、あのカオスがなんだかんだいって好きだからだと思う。
私の場合は、近所の月曜メルカートと歩いて10分ほどの木曜メルカートには必ず出かける。一人で行くこともあれば、友人と待ち合わせをし、途中でお茶を飲んで大笑いしながら情報交換。幾つになっても、箸が転がってもおかしいお年頃。何か?
ただ、友達と一緒に出かけても、100mくらい歩く毎に誰かしら知り合いに会ってしまう。簡単な挨拶といっても、その度に「ちょっとごめん...」と友人を待たせてしまう羽目になる。その回数があまりにもすごいため、「もうT子とは一緒にメルカートへは行かない!」と冗談半分に言われたことさえある。苦笑
itamaの生徒たちにも「マエストラ〜!」と毎回声をかけられるが、私は先生じゃないってば!と何度言っても同じ。以前見ていた子供たちが、幼稚園、小学校へ上がり、またその弟や妹がバンバン生まれているから驚いてしまう。今朝、私のitama初年度の子供だったエジプト人の母親に久々あったが、ベビーカーを押しているではないの!しかもあちらのご長男くんは我が家の長男と同い年。えっ?何人目?と聞くと4人目だという。彼女たちはこのご時世でも4、5人は子供がいるのがザラ。それでもきっと私より、10歳くらい若いのだろう。ありえないわ。
話は基、メルカートでは何が楽しいって顔見知りが多くなると、その度にいろいろな会話が弾むということ。蜂蜜屋さんでは、片っ端からのど飴をもらい、糸屋さんでは、店員さんと最近の作品を見せ合ったり、糸の情報交換などをする。最近、毛糸屋さんを手伝っているおっさんが、私が行くとやたら声をかけてくるが、今朝「チャオ!チーナ!」と呼ばれたので、無視! 「チャオ!ベッリッスィマ!」と呼ばれれば愛想良くするが、「ニーハオ」とでも言われようものなら、最強の目力で威圧する。笑
何度言っても、話が通じないので、もう諦めたのだが、私がいくと「イエーイ!”もしもし”が来たぞ〜」といってくるバングラデッシュの屋台。もともとは、日本人を見かけると、「今日は」だから英語の「ハロー」になり、そこからイタリア語の「プロント」になってしまい、それが日本語で「もしもし」となったわけだが、途中で、思い込み?勘違い?が増幅された伝言ゲームよろしく(まあそれが伝言ゲームの醍醐味なのだが)おかしなものとなってしまった。しかも、日本人を見れば、”もしもし”と挨拶のつもりが、私の名前が”もしもし”???違うでしょ〜。
今日は、ちゃんとした日本語を指導してきた。彼らも一生懸命、商品をいれる紙袋にメモを取っていた。「今日は」「ありがとう」「さようなら」を三つ。私も彼らの言葉「ベンガル語」を教えてもらい、メモを取った。
今日は ... シュバシャカール
ありがとう... ドンノバード
さようなら ... ショコビダイ
人とのふれあいは楽しい。ちょっとした挨拶でも、笑顔になり、元気をもらったり、逆に与えることもあるのだと思う。単調な生活でも、小さなことに忠実に生きたいもの。真摯な心があれば、日々満たされる。
メルカートも心次第で楽しくまわれるってこと。
その2
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11460779182.html
その3
