11月22日、日本では、「聖セシリアおとめ殉教の日」と呼ばれているようだが、イタリアでは「サンタ•チェチリア」と呼ばれ、教会音楽、そしてオルガニストの守護聖人とされている。
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ここ数年、地元パロッキアの聖歌隊に所属しているが、サンタ•チェチリアのお祝いもどこか他人事だった。けれど、この秋から、毎週日曜日のミサの聖歌を決める係となり、ちょっぴり関わりが濃くなり今日のこのお祝いは楽しみにしていた。。
とはいえ、聖歌選びも、最終的には神を賛美すればどの曲でもいいのでは?と軽く考えていたが、まーまーここでも勉強をせざるを得ない日々。新参者の私が、係になったことで、見えない風も感じなくもなく、なんで私なんだ...という愚痴も言いたくなることも多いが、全て人生の糧。恵みなのだと受け取るようにしている。まあいいさ。天のお方がわかっていてくださればそれで十分。
ところで、毎年サンタチェチリアの祝日では聖歌隊のメンバーだけ集まって、歌の練習をしつつ、お菓子でお祝いをしてきた。が、今回は、メンバーの中でケータリングの仕事をしていた人の料理が振る舞われ、またドウモのオルガニストを招待し、ヴェスプレ、カトリック聖務日課の挽課の祈りを共にあずかった。
毎週、決まった曜日の夜9時に集まって練習してきているが、待降節に入ると、やたら黙想会だ、聖職者たちは祝福の訪問だ、といって毎週曜日が変更する。私は空手の稽古もあるし、夕飯やら家族を置いて出かけるにもタイミングがあるから、簡単に曜日を変えられては困るのだ。合間を縫っての練習。
さて、歌に関して言うと、大抵の日本人であれば、譜面を見ればだいたい曲はわかるだろう。けれど、イタリア人の大半はそうではない。全て耳から覚える。ラテン語の曲も多いのだが、発音やらリズムに合わせ、口が回らない。リズムといえば、体を左右にゆっくり動かしながら両手を叩き、一小節にいくつ音符が入っているかを体に染み込まさせるように、お経のように歌詞を歌う練習をするが、体を動かすと歌えない人が多いのには驚いた。しかも主旋律がいきなり3部合唱くらいになってしまうから、驚きの連続。
今日は7時半にオラトリオに集合だったので、普段よりも早い空手の稽古に出て帰宅。稽古の前にトンカツを揚げ、帰宅して夫と息子たちにはカツを煮てカツ丼を準備。自分が油とだし臭くてたまらなかった。苦笑
オラトリオへ出かけ、まずは、腹ごしらえ。聖歌隊の名物おじさん、アンジェロによるカッソールを頂いた。本来は、ソーセージ、耳、頭、足などの豚の各部位をニンジンやセロリなどの香味野菜とちりめんキャベツで煮込むロンバルディア州の郷土料理。ボリュームたっぷりなので、食べる肉の量は少なめにしてもらい、野菜の汁をポレンタと一緒にいただく。生ハムやサラミのように、イタリアでは「豚は神様からの贈り物」と考えられているようで、無駄なく料理される、というわけだ。こちらは40人分のカッソールとポレンタ。その他は皆持ち寄り。
私はクッキーを焼いて持って行った。ドルチェを食べていると、お腹がいっぱいになって歌えなくなってしまうので、挽課が終わったら、デザートタイム!ということにしたが、ドウモのマエストロは、私のクッキーを気に入ってくださり、挽課の前に食べまくり!爆 (あとで戻ってきた時は終わっていた!)司祭に薦められ、ワインとレモンチェッロをぐい呑みし、お御堂に移動。
そしてまずは練習に入った。前日練習したラテン語のカノンのフレーズが思い出せなくて焦ったが、なぜか指揮が始まると思い出すのだから不思議だ。
Christe, lux mundi, qui sequiturte, habebit lumen vitae, lumen vitae...
non nobis Dominie, non nobis, sed nomini tuo da gloriam...
主任司祭によるお説教では、サンタ•チェチリアにちなみ聖歌隊に関わる話だったが、聖歌隊は、歌をもってみ言葉を伝えるという行いは、私たちの任務であり、恵みでもあると説かれた。そうか...「よく歌う人は倍祈ることになる」というが、歌は心の喜びであり、「歌うのは愛している証拠」。私たち聖歌隊は、会衆と共に歌い、会衆の歌への参加を促し、また会衆の代わりに歌を神に捧げること、が任務でもある。「主に歌え」Cantate Domino. 歌による祈りの精神を大切にしないといけない。
指揮をする司祭の腕も良かったということもあるが、またアルコールの力もあったのか?聖歌隊として過去最高に歌えた気がする。笑 非常に荘厳な祈りのひと時だった。
再び、オラトリオに戻りデザートタイム。さすがに、先に食べたカッソールがお腹に重く、スプマンテで乾杯はしたが、ケーキ類と家族におすそ分けでカッソールもお持ち帰りさせてもらった。
また12月の聖歌を考えなくてはならない。荷が重いが、恵みの仕事として前向きでいないといけない。
それにしても胃が重すぎて眠れそうにない。四旬節じゃなくって良かった。苦笑


