先日、次男の現地校の宿題で「子供の権利」についてコメントを書いてくる宿題があった。
「ね~、ママ。”子供の権利”についてどう思う?」と聞くので、「権利は守られるべきもの」と答えると、例えば?というので、数年前、ノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララさんの演説内容を話してみた。すると、「権利の話はわかるよ。でもママはどう思うの?」と聞くので、だーかーらー、子供にも生まれながらにして色々な権利があるでしょ?子供たちには権利があって、親や大人にはそれを守る義務があるわけ。と具体的な例をあげて説明したが、なぜか私の具体的な”意見”を聞きたがる。???これは変だぞ!と思ったら、私の意見を自分の意見として、書きたかったらしい。「自分の思った通りに書いてよ。何が間違えとか正しいとかじゃなくって、思ったこと を書くのが大切。」と言って冷たいようだが、少し突き放すと、ポロポロと感じたことを言うので、そうそう、それをつなげて言えばいいの!と言って、なんとか宿題はできた。
ところで、20年ぶりの語学学校が始まり2週間。宿題もそれなりに出る。が次男に言わせると、「そんなの幼稚園生でもできる問題だよ!」と小憎たらしいことをいう。じゃあ自分の宿題は自分でせい!!
そこで、偶然にも昨日、ディスカッションのテーマで「子供の権利」が出てきた。あれ???おもわず、つい最近、子供の宿題でこのテーマが出たばかりなんですよ、と発言すると、教科書のこのテーマはたまたまこの時期に当たったわけだが、来月の11月20日は「世界子どもの日」といって、「児童権利宣言」と「子どもの権利条約」が国連で採択された11月20日がその「世界子どもの日」として記念されているのだという。ちなみに「児童権利宣言」は子どもが差別されないことや教育を受ける権利を持つことなどをうたっている。
日本では「子どもの日」と言えば、5月5日。なんで男子だけなんだ?とよく思ったものだが、いずれにしても、子どもの成長を祈るだけではなく、「児童権利宣言」という宣言、意思表明のみにとどまらず実際の効力のある形にすることが、締約国の遵守義務。元をたどれば、それは保護者、大人、地域社会の義務、責任問題だ。
生きる権利、守られる権利、育つ権利、参加する権利...当たり前のように思われるが、それでも物理的、社会的に手を差し伸べるのが難しく、取り残されているものも多い。日本では考えられないが、世界では5歳から14歳までの2億5千万人もの子供達が過酷な労働を強いられているという。5歳以下の栄養不足、そしてその5歳の誕生日を迎えられずに年間590万人もの子供達がなくなっているという。5700万人の子どもに教育を受ける機会もなく、入隊、エイズ、人身売買、性奴隷...。
これは、日本に関しての話で、くだらないといえばくだらない。細かいといえば細かい話なのだが、「子供」なのか「子ども」なのか漢字に統一性がないのが紛らわしいと思った。個人的には「子供」でいいじゃないか?と思うのだが。また、国連条約の本来の目的は、あくまでも子供を飢えや病気、虐待などから守ることだが、自治体によって「子ども支援条例(仮称)」なるものの制定作業が進んでおり、子供の「意見表明権」といったものまで加わり、甘えやわがままを助長する内容ではないか?権利をはき違えていないか?という意見も飛び交っている様子。
う...ん、これは難しい。
余談だが、次男と一緒に世界の義務教育の年齢は期間に関し調べてみた。
(現在イタリアは10年)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo6/gijiroku/05030101/007/003.pdf
次男は、「なんで勉強しなくちゃいけないの?」とよく聞くが、それは義務であり、権利でもあるが、「人間の基礎」としても大事。音楽も大事なの?体育も大事なの?というが、それが将来の人生に意味があるかどうかは個人の問題。”浅く広く”でも私は、身につけるべきだと思う。
ちなみに、日本では親が子供を学校(義務教育中)に行かせなければ10万円以下の罰金となるようだ。それは知らなかった。もちろん、子供自身が登校しない場合は、罰金とはならない。不登校や病気で学校へ行けない子供はたくさんいるが、統計的には、義務教育就学率は100%, 高校への進学率も97.5%と非常に高い。
今週は、イタリア語の「児童権利宣言」を読むのが宿題。そして、気に入った項目を選んで発表するのだそうだ。イタリア語と日本語訳を睨みつけ、頭が痛い。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html



