実家のトイレの壁には相田みつをさんの日めくりカレンダーが何年もかけてある。
毎月30日は、この言葉。
一生燃焼 一生感動 一生不悟
私の好きな言葉だ。
一生を完全燃焼し、一生感動し続け、それでも悟れない。
または、
一生悟れなくてもいいから,一生完全燃焼したい。一生感動し続けたい。
ということか。
しかし、『悟り』とはいったいなんだろう。先日、バレンタイン神父様は『悟り』は心のあり方であって、心を開かないと悟れないとおっしゃっていた。知識があるとかないとかではなく、とはいえ、頭に知識が詰め込められすぎていて、がちがちであってもいけないし、物に対する執着がありすぎてもだめなのだろう。
今回の帰国中で,気づいたことは,日本は物や情報が多すぎるということ。あまりにも多すぎて、どれが本当に重要なのか?自分にとって何が一番必要なのか?ごちゃごちゃしすぎてわかりづらい。新聞のTV欄とて同様。ドラマオタクの私は,ミラノでは日本の新作のドラマはほとんどタイムリーに見てきているつもりだったが、帰国したらまったくそのプログラムについていけない。忙しいのか?というと、そうでもないし...日本は物質的には豊かであるが、逆にそれが心の貧しさを助長させているようにさえ見える。
生きる意味,生きる目的,使命感...人生の上で考え、気づくことはしょっちゅうではないが、たまにある。だからといって、不安を感じたり,迷わなくなるか?といったらそうではないだろう。また、たとえ信仰を持っていても艱難はなくなるか?というと、そうでもない。ただ、周囲の状況が少しも変わらずとも、自分自身に艱難を乗り越える力が与えられる。そこで深い安心感と感謝の心が与えられるようであれば、それは大きな恵みだが、私はまだまだ未熟なので、そこまでは到達できていない。
上記の句を読むたびに考える。悟りが開けなくても、ここまで生きてこられただけでもすごいこと。今を大事にし、具体的な活動を通じ、恩返ししていく。一生懸命生きて、何かに感動して、生きられれば,こんなに豊かな人生はないだろう。
より良い人生を歩むこと。だから私は一生燃焼、一生感動。あとは、魂を磨いていくことで、結果がついてくるのだろう。