時間 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

夏休みに入ったら、多少時間に余裕ができると思っていたので、ゆっくり会って話したい人ややりたいことが沢山あった。

 

しかし、オラトリオが始まった途端に目紛しい日々となってしまった。一日中忙しいわけではないが、お昼時、そして午後。合間を見て、家事をこなしたり、自分の勉強などがあり、家を出たり入ったり...

 

あなたの時間を銀行に預ければ、増やせます――。(「モモ」ミヒャエル•エンデ作)

 

ああ、できるものならそうしたいものだ。時間の節約、そして使いたい時に、溜まった時間を使いたいもの。

 

夫や子供達は、腕時計をしない。携帯電話あるから大丈夫だという。私にしたら、いちいちバッグやポケットから携帯電話を出して時間を見るほど面倒なことはないと思う。だからといって、家にいる時は、時計は外すが、外出する時は、腕時計なしではいられない。

 

人に与えられた時間は、それこそ貧富の差なく、平等。けれど、結局時間に縛られて生活しているのだなあ、とつくづく思う。

 

話は変わるが、「時間に遅れる」という概念がある。急いで物事をこなし、決められた時間に間に合わせることに、達成感を得る。時間に追われて失っているものがあるのに、その時は気づけない。人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間が私たちから段々と失われてきているのだ。

 

また、コンピューターの前にいると、あっと言う前に数時間が過ぎてしまう。これまた、よくないものだ。

 

時間の概念というのは面白い。

今年のサンタンブロージオでの元旦ミサでのお説教では、「クロノス」と「カイロス」についてのものだった。

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12112893779.html

 

「時間は人生の器のような”救い”である。」

 

ある時とある時を結ぶもの。それがクロノス。クロノロジカル...というのは、その言葉から来ている。

 

しかし、いまこんなにたっぷりある夏休みの中、時間に追われつつも、無限ではない、私たちに与えられた限りある時間、カイロスを大切にしたいものだ。

 

先日、6月10日は「時の記念日」だった。7世紀の日本で水時計を設置したという。その時間という基準が設けられた日が新暦の6月10日(旧暦では4月25日)だったことが由来らしいが、流れ出た水の量で時間を計るとはなんと牧歌的であろうか!

 

とはいえ、時間に追われた慌ただしい生活にならないよう、たまには砂時計でもじっくり眺めるのもいいかもしれない。

 

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12092544544.html