ファティマの聖母 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



5月は「聖母月」と呼ばれる。18世紀のイタリアで盛んとなり、この月をマリアに捧げ、マリア崇拝のために祈り続ける信心が伝統とされている。

今月は、我がパロッキアでも週3回夜にロザリオを唱える集まりがある。(とてもじゃないが、時間的に無理だが)古いアパートだと、敷地内にマリア様の像やイコンが掲げられているところも多く、そこを訪ねて行くのだ。

ところで、ポルトガルの小さな町、ファティマに聖母が出現し奇跡を起こした、ということがヴァチカンでも公に認められている。ファティマにおける聖母のご出現は1917年5月13日に始まり、10月13日まで毎月1回、合計6回行われたということで、5月13日は「ファティマの聖母の記念日」となっている。この不思議な出来事に対する人々の反応は賛否両論、極めて大きかったが、最後の出現の日、七色に輝く太陽の乱舞という奇跡によって出現の信憑性が証しされた。そのうえ、教会の権威の公的な承認によってファティマにおける聖母のご出現とそのメッセージは、私的啓示の枠を超えて世界に大きな影響を及ぼすこととなった。



次は前教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉である。

「19世紀と20世紀にキリストの母がその姿を現し、その声を聞かせることによって、神の民にこのロザリオという観想的な祈りの形を勧めた出来事はよく知られています。わたしは、そのことのキリスト教的生活への大きな影響と、教会の権威から与えられた重大な認可のゆえに、ルルドとファティマの出現をとくに取り上げたいと思います」(使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』7)。

そのファティマの聖母像がミラノに毎年やって来るのだが、今年も4月にミラノ入り。週単位であちこちのミッション校や教会を廻り、信者たちも巡礼にやってくる。

先週、近所のパロッキアにも来ていたので、お祈りに出かけきた。お祈りにきていた近くの幼稚園生や小学生にも遭遇した。真剣な目でマリア様を見つめ、手をあわせる姿は、可愛いし心を打つものがあった。

 

ファティマのメインメッセージは、罪びとの回心と世界平和のためロザリオを唱えなさい」ということであったという。その意向として「罪びとの回心」と「世界平和」を挙げており、罪びとの回心は、古い伝統的な表現によると「罪」とは、「神から離れて、被造物に執着すること」と定義される。従って、罪びととは、カトリック的には、神を否認する人や、認めてもこれを恐れない人であり、神の意思を無視して自己や金や権力に執着する人々のほか、戦争やテロ、さまざまな争いや分裂を引き起こす人々のことをいうのだろう。世界では、常にテロや内戦や経済的な侵略・搾取など、争いや分裂は後を絶たない。それは、現在も罪や罪びとが世に満ちていることのあかしである。従って、こういう罪びとが回心して神に立ち返り、そのみ旨に従って行動するとき、世界平和は自ずから実現することになる。そういう意味で、ファティマのメッセージは今も生きている、ということになるだろう。

また、今週末の聖霊降臨祭に、日本の千羽鶴を奉納したく、信者である無しにかかわらず、平和を祈って友人たちに折っていただき、なんとか千羽を突破することになった。現在糸に通し中。本来ならば、ミサの終わりか、分かち合いの食事の後に、平和を祈る人々に分けたかったが、午後から別のミサがあり、出かけなくてはならず私が不在になってしまうため、改めて夏のオラトリオの最終日のフェスタに, 千羽鶴の意味もつけて配りたいと思っている。ご協力くださった方に、感謝します。




ファティマの祈り
主イエス・キリスト
わたしたちの罪をゆるしてください。
わたしたちを滅びから救い、すべての人々、
ことにおんあわれみをもっとも必要としている人々を
天国に導いてください。

アーメン 


http://www.chiesadimilano.it/2.4014/vita-ambrosiana/articoli-dalle-parrocchie/la-madonna-pellegrina-di-fatima-br-nella-diocesi-di-milano-1.125839