
学年末が近づき、何かと忙しい季節となった。
自分の予定は手帳に書いていないと把握できないというなんという情けなさ。
若い頃は、仕事でもプライベートでも忙しいのが好きだった。その方がハイテンションになり、物事がよりスムーズにできた。
ただ、最近は忙しくなると、頭と心がついていけない。
「忙しい」も「忘れる」も「心」を「亡くす」と書く。機械的に動こうとするからそうなってしまうんだな。
そして「慌ただしい」は「心」が「荒れている」と書く。嫌だね~。
心を亡くし、あっても荒れていては、人を思いやるゆとりを失ってしまう。
毎週月曜日、養老院にいらっしゃる日本人シスターを訪ねていたが、家を出るまでが慌ただしく、寄れなかったり、寄れても次の予定があって慌ただしく去ることがあった。それではあまりにも失礼だ。数週間顔を出さなかったら、逆にシスターが心配をしてましたよと友人から聞いた。
日曜日の午後、何も予定がなかったので、一人で養老院へ出かけてきた。行く前に電話をして1時間以内に到着します、と言ったが、日曜日なので30分くらいでいけるだろうか?と思っていたら、メーデーだったので、町中デモがあり、途中で降ろされ、次に来たトラムは経路変更で結局違う方向へ行ってしまい、結局到着に1時間かかってしまった。
シスターは玄関で私を待っていて下さった。85歳。すでに私の肩くらいの身長しかなく、細くて杖をついていらっしゃるが、電話でも直接出かけても、ご本人は一人で大丈夫、とは言っても、必ず元気なシスターが付き添いでついてくるので、ちょっと気を使ってしまう。あらら、お待たせさせてしまったわ、と悔いた。
今回は、ゆっくりいろんなお話ができた。「やっぱり日本語だとすらすら出てくるわね。」とシスター。私でもそうなのだから、お年寄りならなおさらイタリア語で話すのは億劫になることだろう。「じっとしていると、ぼけちゃいそうで嫌なのよ。」とシスター。私と同じだ。時間がいっぱいあるから、翻訳をしたいの。でも今から、やり始めたら、途中で死んで中途半端になっちゃうわ、などと冗談半分におっしゃる。そして、私にも頭を使うためにも本を翻訳しなさい、と進められた。苦笑
10年前、シスターと勉強をしていた時、いきなり「今日あなたはなぜここに来たの?」といきなり突拍子もないことをよく質問された。シスターとお会いすると自然に涙が出てきて癒されたり、またエネルギーを沢山頂くこともあった。それは、今も同じ。
お話できて本当に嬉しかったわ~と子供のように喜んでくださる。もちろん私もエネルギーを頂いた。
やはり人には、余裕を持って会うべきだと思う。ゆとりがないと人を思いやる心さえ失ってしまう。そして、心のゆとりの有無は顔に出る。
今一度、鏡を見てみよう。苦笑
「人を思いやるゆとりを失うほどに、
自分を忙しくしてはいけません。」
マザー・テレサ
『あなたのままで輝いて』より
(PHP研究所刊、文/片柳弘史、絵/RIE)