4月28日
Di fronte alle voragini spirituali e morali dell’umanità, solo Dio con la sua infinita misericordia può darci salvezza.
人類の精神的、道徳的な裂け目に直面し、神無限の慈しみのみが私たちを救ってくださいます。
4月29日
Cristo ha vinto il male alla radice: è la Porta della salvezza, spalancata perché ognuno possa trovare misericordia.
キリストは悪に周到に勝ちました。彼は、すべての人が見つけられる慈しみの大きく開かれた救いの扉です。
4月30日
Lavorare è proprio della persona umana: esprime la sua dignità di creatura fatta a immagine di Dio.
働くことは人間にとって適切です。それは神が描く創造物の品位を表します
Papa Francesco@Pontefix_it
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今月半ば以降に日本の九州地方、そしてエクアドルを襲った大地震。パパ様は心を痛められ、力と支えを祈られた。
世界中では、毎日何かしら酷いこと、悲しいことなどが起きている。世界を救うことはできないが、辛い想いをしている人のために少しでも心を寄せ、祈りたいものだ。
では私たちの「隣人」とは誰だろう?
「善きサマリア人」のたとえ話は有名だが、パパ様は、一般謁見で神殿に通い、神の慈しみを知っているはずのものが、必ずしも隣人を愛せるとは限らないと話された。信者としては、どきっとする話だ。倒れた人を見ても無視することは、隣人に奉仕するという形で信仰を表せないのならば、それは真の信仰ではないと述べられ、また「飢えや暴力や不正に苦しむ人々を無視してはなりません。これらの人々を無視することは、神を無視することになります。」と強調された。
ところで、イエスが癒しの奇跡を行う時は必ず「あわれに思って」行動されたと言われている。この「あわれに思う」はギリシャ語で「はらわた、腸」を意味する “splanchna” (スプランクノン)からきており、またヘブライ語で「子宮、胎」を意味する “rahamim”, “rechem”(レヘム)という言葉を使うという。イタリア語でも"compassione". con=ともに、passioneの原型=patire耐える、苦しむ、味わう、体験する、という意味がある。
何れにしても、あわれみは、苦しむ人への共感となって、人間を深奥から動かす。このように、「はらわたが突き動かされて」愛する人になりたいと望むことが信仰の歩み。
そして、イエスを眺め、祈り、イエスのように愛する人に一歩一歩成長していきましょう。
