柔軟心 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



空手の稽古の前後に、準備体操と整理体操で柔軟をする。
周りを見回していると、年齢に限らず体の硬い人が多いなあ、と思う。特にイタリア人はガチガチの人が多く、ひどいと足首まで硬く、正座ができず、足首を立てそこにお尻を乗せるような座り方をして礼をしている。僧侶には絶対なれないわ。爆 きっとそういう人は、将来的に腰痛もひどくなり、体にしびれも出てきてしまうのではないだろうか?と心配してしまう。

私は基本的に、体が柔らかい方だと思う。もちろん、体を動かしていない期間があれば、元に戻ってしまうが、息を吐きながら徐々に徐々に体を伸ばしていくと、伸びるように伸びていく。とはいえ、ヨガの練習で、倒立の練習中、足が攣ってしまい、しかも誰も周りにおらず、どうしよう?と思ったことがある。無理は禁物だ。

そして大抵、寝たきりにもならず長生きされるご老人は、股関節が柔らかいケースが多いらしい。両親にも常に、股関節は良く回して、血行を良くしておいてね、と言っている。

ところで、相田みつをさんの言葉で、

柔軟心
やらわかいあたま
やわらかいこころ
わか竹のような

というのがある。なるほど!と思った。

中学生の頃から、渡伊するまで、実家から近所の竹林を抜けて、最寄りの駅に出て、勉学や仕事のため、出かけていた。若竹は空に向かって立っている。けれど、強い風が吹き荒れると、柳の枝のように、柔らかくしなり風を受け流し、風が止まれば、再び止まって、そのまま空に向かってすっと伸びている。

上記「柔軟心」というのは、”じゅうなん”ではなく”にゅうなんしん”と読み、道元禅師の言葉だという。昔、道元禅師が支那から戻られた時、支那に行って何を学んで来たかと、こう人が尋ねたら、「自分は柔軟心を得た」と言われたという。それは心の働きだという。その柔らかさというのは、宗教の極致だともあるコラムで読んだが、宗教というか、人間の器の大きさは、この柔軟心次第なのでは?と思った。人間、我が強く、頑なになってしまうと全ての可能性の幅を狭めてしまう気がする。

柔軟心。文字通り「柔らかい心」。どんな状況にも変化のできる、弾力に富んだ気持ちというのが「柔軟心」だという。ちなみに聖書には「柔和(で謙遜)」という言葉が出てくることを思い出した。

柔らかさは大切。体も、言葉も、態度も、そして表情も柔らかさが大切。

わか竹のように!