今朝、読んでいる本で、素敵なフレーズを見つけた。
ともに悲しめば悲しみは半分になる、ともに喜べば喜びは2倍になる。
ドイツの諺だそうだ。また聖書にも、似たような言葉がある。
喜ぶ者とともに喜び、泣くものとともに泣きなさい。(ローマ人12:15)
人には嫉妬心があるから心から一緒に喜ぶというのが難しい人もいるかもしれない。また、私なんぞ、特に自分の子供に対して、何か出来ても、もっとできたんじゃない?とどうしても、イタリア人のように大げさに手放しで喜ぶことができない。
再び本の中で素敵な話があった。
何かの状況に苦しんでいる夫が、妻に「一緒に死んでくれないか」と言ったら、「いいですよ。そんなに苦しいの?」と聞いてくれた。それで気持ちが楽になり、乗り越えられたという。
みじかな人に、自分の苦しみを分かち合って欲しいというには、勇気と謙虚さがいる。日本の社会では、家族の中でもお互いに突っ張っていて、素直に心の内を打ち明けない人が多いようなので、非常に難しいことだろう。確かに話して、うんともすんとも顔に反応さえ現れなかったら、もう2度と話すのはやめようと思ってしまう。そういう意味じゃ父は何事も表情に出づらく、余計なことは一切話さない人間なので、母も苦労しているだろうなあと今更ながら思う。
ところで、近所には、ここ数年立て続けにご主人を亡くしたおばあさんが数人いらっしゃる。なぜか子供がいない人ばかりで気の毒なのだが、道端で会い、「いかがですか?」と声をかけると、まだ悲しみを乗り越えられていない人も多く、「寂しくて寂しくて」「辛くて...」と言われてしまい、そのまま会話が繋がらなくなってしまうことがあるし、聞いているうちに私の方が涙ぐんで来てしまうこともある。ただ、おかしなことで、悲しみを分かち合える人がいた、と思うと安心できるのだろうか?そのあとは、笑顔になられる。逆にともに祈りましょう!と元気づけられることさえあるから不思議だ。
とはいえ、人との関係も腹を割って話す、ということは関係がみじかであればあるほど難しいのかもしれない。本音を話せる人、本音を聞いてあげられる、今の社会では非常に大事だと思う。また、そういう出会いも大切だ。
無条件で他人に優しい人は必ずいる。逆に誰かの優しさに触れると、自分も「いつか必ず恩返しができる人間になりたい」と思うことだろう。それが生きていく上で原動力となったらどんなに素晴らしいことだろう。昨日も書いたが、誰かに助けを求める力を養いながら、自分に余裕があるときは、困っている人、寂しそうな人などに声をかけたり、手を差し伸べたら、世の中今より少しはマシになるのではないか...と思いたい。甘い?
